楽屋見舞いに笑顔で対応
「といっても野球と同じで、米朝師匠に弟子入りするのは競争率が高すぎる。そう思って調べていたら、米朝師匠の直弟子の小米朝師匠(後の月亭可朝)には、まだ弟子がいなかった。小米朝師匠なら一番弟子になれるし、早く一人立ちしたいと思ったんです」
とはいえ簡単に許されるはずもない。寄席に通いつめ、正式に弟子になれたのは1年後のことだった。
「一番最初、師匠に『“飲む、打つ、買う”は芸の肥やし』と言われました。私もまだ若かったから、この言葉を鵜呑みにしたんです。できなければ芸人になれないと思い、稽古の傍ら、言われたとおりにやるんですよ」
入門して4か月後には、初高座に挑む。このとき師匠から「大きく声を張ってしゃべり、目線の上下を使い分けることを教わった」という。同時期に始まったバラエティ番組『ヤングおー!おー!』にテレビ出演すると、桂きん枝、桂文珍らと共に若手落語家として人気を集めた。
私生活では、25歳で結婚して父親となるも、賭けごとで借金を重ねる日々。その総額は、30代半ばには1億3000万円に膨れ上がり、借金取りに追われるどん底生活を味わう。
「ああなったらもう、この世から消えるしかないですわ。でも幸い、事務所の吉本興業が借金を立て替えてくれましてね。代わりに『とにかく八方を働かせて、早く金を返させろ』と、次々と仕事が入るようになった。やすし・きよしさんやら、超売れっ子にくっついて番組に出させてもらいました。当時の吉本では『仕事がほしいなら、借金せえ』とまで言われたくらいです」
多い月で100本以上の仕事をこなし、借金は3年で消えた。タレント業中心だった時期もあるが、近年は落語に回帰。実息の八光や、お笑いタレント出身の方正といった弟子も抱える。口には出さないが、どん底時代から寄り添う三千代夫人との絆は深い。