リベラルな社会は、人種や国籍、性別、障がいの有無にかかわらず、すべてのひとに完全な人格=人権を認めます。私はこれを素晴らしいことだと思いますが、しかしそうなると、境界例のひとたちも、完全な責任能力があると考えざるを得なくなる。「低能先生」は地方の旧帝大を出ていて、だからこそ相手を「死ね」「低能」と罵倒していたようですが、自分の能力を誇示すればするほど、「いい年をしてそんなことをやっているのはあなたの自由意志なんでしょ」という自己責任の論理にはまり込んでしまう。その結果、「こんな奴はいくら叩いてもいいんだ」と、集団的なバッシングが起きたのかもしれません。
中川:私はそう思っていて、彼のことが治療が必要な人だという認識があったら、皆で通報しまくるとかの「煽り」は止めたかもしれないんですよね。彼だとわかるIDから何か来たら、「元気か?」とか一言返すとか。でも「こいつは、はてなというコミュニティを荒らす一番ひどい奴だ、よし皆で通報しよう」っていう流れができちゃっていた。もし彼が中学生だとしたら、たしなめたと思う。子どもは未熟だから、分別が付かないから、まあしょうがないなと。低能先生についても「病気だからしょうがないな」という考え方もできたかもしれないんですよ。
◆「面倒なひとには触らないでおこう」という暗黙の了解
橘:ネットでは奇矯な言動を面白がる傾向が強いと思います。境界例のひとをネタにして遊べばPVを期待できるし、フォロワーが増えたりすることもあるでしょうが、そうやって病気や障がいのボーダーライン上のひとに群がって面白がるっていうのは正直、疑問です。
中川:私が手伝っているあるニュースサイトでも、対策は取るようにしています。基本的には芸能人ブログをネタにして記事を作るのですが、発言が心配になってしまう特定の人は取り扱ってはいけないということにしています。その人を取りあげるとアクセスを稼げるのは分かるのですが、動物園的な感じで皆が見に来ているわけだから、それを利用しちゃいけないと考え、自主規制をし、その人に対してネットの悪意ある声が少なくなるようになんとかしたいと考えています。
橘:2010年に「鬼畜ブーム」で一世を風靡した村崎百郎さんという作家が殺害された事件も衝撃的でした。あの事件もHagexさんの事件と似ていますよね。村崎さんは私が編集者をしていた時期にデビューしたから、傍から見ていて「ずいぶんあぶない橋を渡っているなあ」とは感じていました。自分が「鬼畜動物園」をやっている自覚はあったと思いますが、最後はストーカー(鬼畜)を呼び込んで殺されてしまった(犯人は統合失調症と診断され不起訴)。「病気じゃないってことは正常なんでしょ。だったら好きでやってるんだから、いくらでもネタにしていいんだ」という前提でやっていくと、こういう罠にはまってしまうのかと考えさえられました。