橘:2ちゃんねるにかぎらず、コメントというものをやったことがないのですが、たしかに作法がわかってないと書けない、敷居の高いというのは感じます。
中川:「半年ROMれ(※注:「書き込みをせずに読むだけにして勉強しろ」の意)」なんて言葉も昔はよく使われていましたからね。ヤフコメはもっと敷居が低くて、誰でも書ける。栗城史多さんという登山家について、罵詈雑言だらけのスレッドがありました。彼に対しては登山家としては素人同然、といった評価もあるのですが、チョモランマ登頂に挑戦しては失敗を続ける。それを2ちゃんねるでは「目立ちたがり屋」だの「詐欺師」だのと叩いていた。でも、彼はチョモランマで亡くなってしまいます。すると、ヤフーのコメント欄に批判が多数書き込まれた。その時、2ちゃんの人々が蜂起して、ヤフコメを叩き始めて、元々叩いていた栗城さんを擁護し始めました。オレたちは彼を叩いていたが、ずっと彼のことを考えていたら、いつの間にか好きになっていた、みたいな話です。そして、栗城さんに感謝を始めるわけです。そういった意味では、私は2ちゃんの方がヤフコメより洗練されていると思います。
橘:それって、どっちが正義かいう話ですよね。たとえ有名人でも、見ず知らずのひとに罵詈雑言を浴びせるなんてことはふつうはできません。たとえ匿名でもそれが堂々とできるということは、自分が「正義」で相手が「悪」だというレッテルを貼っているからでしょう。そうやって気分よくバッシングしていると、いつの間にか「お前の正義はニセモノだ」という人間が現われて、逆にバッシングされる側になる。いじめの構図と同じで、まわりの空気を読んで、自分が常にいじめる側にいようと必死になる。
中川:自分が叩かれないように。
橘:なぜバッシングするのか――。私が知るなかでもっとも説得力があるのが、不道徳的な人間に制裁を加えると脳の快楽中枢が刺激されてドーパミンが出るという実験です。ドーパミンはドラッグ、ギャンブルでも放出されて強い快感が得られますが、それによって深刻な依存症に苦しんでいるひとがたくさんいます。そう考えると、一日中ネットに張りついて、何百回、何千回とひたすら罵詈雑言のコメントを書きつづけるというのは、「正義依存症」という病理現象ということになります。