即位前の大正15年、歌会始のお歌。
《広き野をながれゆけども最上川 海に入るまでにごらざりけり》
私の師の折口信夫が絶賛したこの歌には、天皇だけがもつ自然でのびやかなしらべがある。それは、悠々としてとどこおることのない大河の流れそのものだ。敗戦後、昭和天皇はさらにのびのびと心持ちを歌に示されるようになった。
《戦のわざはひうけし国民を おもふこころにいでたちてきぬ》
《ああ広島平和の鐘も鳴りはじめ たちなほる見えてうれしかりけり》
いずれも戦禍の跡が残る全国各地を巡幸(*)し、戦争で大切な存在を失った人々に声をかけ励まし、行く先々で詠まれた歌である。
【* 昭和21年(1946年)に始まった戦後巡幸は総日数165日、足かけ8年半に及んだ。】
ここには、やむを得ない状況で日本全体の運命を身に背負って戦ったのちに神の座から解放され、人間としての初々しい喜怒哀楽を表現できる喜びと、明るく生き生きとした心の動きがあらわれている。
思い起こせば1983年から2007年まで、私は宮内庁御用掛として昭和天皇やいまの天皇皇后両陛下の相談役を務めた。当初から昭和天皇には歌人としての確かな力があり、私の手直しはほぼ必要なかった。