◆告発された側にも弁明の機会を与えよ
「告発されたら終わり」という感覚が蔓延すると、「触らぬ神に祟りなし」と考える人が増えてくるのは当然だろう。さらに、その延長上にはもっと深刻な問題が待ち受けている。
以前、複数の医師から次のような話を聞いたことがある。患者のためにはリスクがあっても思い切った治療を施したほうがよいケースがあるが、失敗したときや、期待するような結果がでなかったときのことを考えて控える場合があると。事が命にかかわるだけに聞き捨てならない問題だ。それでも医師の立場を考えたら、自己防衛に走るのを止めることはできないだろう。
とくに医師と患者のように、一方だけが専門的な知識をもっている場合(「情報の非対称性」という)、かりに医師が患者の利益より自己防衛を優先しても、それを事実として認定することさえ難しい。最終的にはプロとしての良心と見識に頼らなければならないのだ。
そして程度の差はあるにしても、監督・コーチと選手、教師と生徒、上司と部下といった関係にも同じことがいえる。「触らぬ神に……」や慇懃無礼は、やろうとすればできてしまうのである。要するに、パワハラにしても圧力にしても、相手に有無をいわせず力ずくで改めさせようとすると、思わぬ弊害をもたらす危険性があるということだ。
もちろん、だからといってパワハラや不当な圧力を受けてもやむをえないというわけではない。被害者が泣き寝入りせず、声をあげるようになったのは確かに一歩前進である。
一方で、加害者とされた側の弁明にも耳を傾けるべきである。マスコミも大衆受けしそうな声にすり寄ったり、都合のよいコメンテーターばかり集めて話を盛り上げたりするのではなく、立場や見解が異なる人も交えて議論を深めるよう努力するのが社会的責任の果たし方ではなかろうか。