また、太田氏との対談で〈規則正しい生活をすると規則正しい作品になっちゃう〉と明かす著者は、多くの連載を抱える身であえて日常に変化や破綻を求める、作品至上主義者でもある。
「昔食べたのり弁を再現したくて、あの海苔とお醤油が一体となる時間を逆算し、わざわざ朝7時に起きて作ったことも。生活がマンネリ化すると作品もマンネリに陥るという考えなんです。
漫画家は感性がズレたらお終い。〈バター醤油かけごはん〉のダメな作り方をいきなり大滝秀治が文中で叱る描写も、若い人はギリギリわかるかどうか。あの人が〈つまらん。おまえの作り方はつまらんっ〉と青筋立てて怒る面白さが通じない時代についていけなくなることが、僕にとっては病気より怖いことなんです」
◆トコトン些事小事をつきつめる性格
街の定食屋が閉店したらしたでチェーン店に新味を見出し、安カツ丼に載ったグリーンピースの〈全回正解〉〈常に正位置〉な配置に木下利玄の短歌〈牡丹花は咲き定まりて静かなり/花の占めたる位置の確かさ〉を思うなど、何事も軽やかに楽しむのが東海林流だ。
「確かに慨嘆はしないかな。クヨクヨも前向きに楽しんじゃうし。僕は学生時代、太宰の『畜犬談』とか『黄村先生言行録』とかユーモア小説に凝ったことがあった。そうか、自虐ってユーモアになるんだと気づいてからは、漫画もエッセイも全部自虐です(笑い)」
その黄村先生シリーズに、語り手が宮本武蔵『独行道』に我が身を照らすくだりがあり、〈十二、身一つに美食を好まず〉に擬えた一文は東海林ワールドのルーツを思わせる。〈あながち美食を好むにはあらねど、きょうのおかずは? と一個の男子が、台所に向かって問を発せし事あるを告白す〉