昨年末、お披露目された「MAZDA3」
──そのデミオは、今や4代目。マツダを代表する車になりました。当時は、筆頭株主の米フォード・モーターの支配力が強かった。1979年に始まったフォードとの資本提携は1996年からさらに強まり、同年から2003年まで4代にわたってフォード出身の外国人社長が続きました。その間、丸本さんは1999年(平成11年)、弱冠41歳の時に、プロパー最年少の取締役に大抜擢されます。
丸本:取締役になる頃は、売れ筋だった「MPV」というミニバンの開発主査を務めていました。「なんで自分が?」とビックリしたのと同時に、諸先輩を追い抜いてしまったプレッシャーも感じましたね。
それからすぐ開発から品質部門に異動になり、2年間ほどドイツのケルンにある欧州R&D(研究開発)事務所の所長として駐在します。いったん開発現場の最前線から離れて、ヨーロッパの空気を感じられたことが良い経験になりました。
その経験を元に、若手には様々な領域の部署を経験させるようにしています。とくに海外経験は、若いときと組織を束ねる立場になったときと2回行かせるほうが効果的と考えている。より多角的に、客観的に自動車というものを分析できるようになります。
特にこれからの時代は、より多角的な視点が必要となってきます。たとえば弊社では、自動車開発においてコンピュータによるシミュレーション技術を駆使して効率化する「モデルベース開発」という手法を強化しています。
この技術を活用するためには、エンジニアはハード面だけではなくソフト面も理解しなければなりません。ずっと同じ開発の分野に留まっているだけでは務まらない。