1980年7月にリリースされた第2弾『青い珊瑚礁』の大ヒットで一躍トップアイドルとなった松田聖子は『風は秋色』(1980年)以降、オリコンで24作連続1位を獲得。アルバムでも高い評価を受け、メガヒットを連発する。その偉業を支えた若松氏の戦略はいかなるものだったのか。
「これは私の持論なんですけど、音楽的な人は親しみやすく娯楽性を持たせた方がいい。そうすれば受け手がほどよい印象を持つからです。逆に大衆的な人は音楽的な要素を入れないと飽きられてしまう。聖子はアイドル路線でしたから、ユーミンや細野晴臣さんなど、音楽的な感性が鋭い人たちに作曲をお願いしつつ、文学性を備えた三浦徳子さんと松本隆さんに詞を書いてもらったわけです。
あと重視したのはサウンド。『SWEET MEMORIES』の作曲・編曲を手掛けた大村雅朗さんには多くの作品でアレンジをお願いしましたが、彼の力がなければ、あれだけの実績は残せなかったでしょう」
来年でデビュー40周年を迎える松田聖子は唯一無二の存在として走り続けている。多くの歌手を手掛けてきた若松氏に、大成するために必要な条件を尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「大事なのは本人の資質。それから歌に対する執念です。聖子には『何が何でもこの世界でやっていく』というエネルギーがあった。ほとんどの歌手は、売れてくると周囲に口を出す人が増えてきて、何を信じたらいいか分からなくなってしまうんですけど、彼女は一切ぶれなかった。それも成功の要因だと思いますね」
【プロフィール】わかまつ・むねお/1940年生まれ。1969年CBS・ソニーに入社し、制作部門でキャンディーズ、松田聖子、伍代夏子、藤あや子、PUFFYらをプロデュース。1998年に独立し、現在はエスプロ代表取締役。
◆取材・構成/濱口英樹
※週刊ポスト2019年4月26日号