◇難問その2「自覚がないけど差別が生きる支えになっているおじさん」
少し前にこの欄で「差別おじさん」について書いたところ、たくさんの反響をいただきました。ありがたい限りです。賛同の声も多かったいっぽうで、ネットニュースのコメント欄やSNSでは、反論や罵倒の声もたくさん寄せられました。反論や罵倒のコメントがまさに絵に描いたような「差別おじさん」っぷりを体現していて、苦笑させられつつ、問題の根の深さを感じさせてもらった次第です。
ひときわ難問ですが、がんばってほめてみましょう。自分の差別意識や差別的な言動を正当化するために、「差別はどこにでもある」「相手の側に問題がある」という子どもの言い訳みたいな理屈(「みんなやってる」「あっちが悪いんだ」的な)で自分を納得させられる人は、「いつまでも子どもの素直さを持ち続けている」と言えなくもありません。
己のみっともなさを省みることなく、多様な視点を持とうという発想もさらさらなく、自分の国や性別や属性に「特権意識」を抱けるというのも、言ってみれば「シンプルな純粋さ」を持っている証です。機会があったら、試しにそう言ってホメてみてください。ま、ちょっとでもカンがいいと、本当はバカにされていることに気づきそうですけど。
ほかにも、コンビニで店員さんに怒鳴っているような「強い相手には下手に出て弱い相手には偉そうなおじさん」は、相手と自分との力関係を瞬時に察知できるという意味で「状況判断力に秀でている」とホメることができます。「部下の手柄は自分の手柄、自分の失敗は部下の失敗にするおじさん」も、「チャンスをつかみ取る名手」であり「リスク管理の達人」でもあると言っていいでしょう。
そして、自分もおじさんのくせに、一部のおじさんを「ダメ」呼ばわりして悦に入っている私も、間違いなく「ダメなおじさん」です。幸せな日々を送るためには、自分自身もあの手この手でホメることが大切。差し当たっては、自分を「ダメなおじさん」の一員だと認めている謙虚さと冷静な客観性をホメておこうと思います。一員を自称することで少しでも風当たりを弱くしようという姑息さも、ついでに自画自賛させてください。