平日は2時間半、土曜は3時間半も話し続ける
模索するうちに生まれたのが、出身の京都弁に近い関西訛りで、ゆっくりと聞かせる“浜村節”だった。
「関西でやるなら、地元言葉の方がより親しんでもらえます。かといって、本当の話し言葉では品がありません。僕が話すのは関西訛りですが、文字にすると標準語のしゃべり方なんです」
1974年、39歳で始めた『ありがとう浜村淳です』は、長く愛される番組に成長した。それを陰ながら支えてきたのは、9つ年下の妻だ。
「奥さんは、自分の服を買いに行っているのに、僕に似合うものがあると、自分は買わずに僕のものだけを買ってくるんです。朝は僕より早く起きて、食事から洋服の準備までして送り出してくれますね。ずっと僕に合わせた生活を続けてくれています」
振り返れば半世紀近くに及ぶ番組史。リスナー500人とハワイに行くなど、これまで20回以上もの「旅行会」を実現。アラン・ドロンやソフィア・ローレン、故・石原裕次郎をゲストに迎えたこともある。今もリスナーにとって、「分かりやすく、面白く、ためになる」の三拍子そろった番組を提供し続けるのが、浜村の願いであり喜びだ。
「放送50周年を迎えたい。そのためには、あと5年は続けたいですね」
●はまむら・じゅん/1935年、京都市生まれ。パーソナリティ、映画評論家。同志社大学在学中からジャズ喫茶などで司会の仕事を始める。独特の語り口で人気を博し、1968年から『全日本有線放送大賞』(読売テレビ)の司会を24年間務め、1974年放送開始のラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(毎日放送)は46年目に突入。2011年、第37回放送文化基金賞・放送文化賞を受賞。
■撮影/佐藤敏和 ■取材・文/戸田梨恵
45周年を迎えた
夢は「映画を撮ること」と語る
※週刊ポスト2019年5月31日号