◆JR東労組の弱体化
1993年から社長を務めていた松田は2000年に会長に退き、社長に大塚陸毅、副社長に清野智が就任。2006年には大塚は会長に、清野がJR発足後の4代目社長となります。住田、松田の2人は顧問となり、大塚―清野時代が到来します。大塚、清野はともに旧国鉄時代、改革3人組の同志として国鉄改革に協力した若手改革派。大塚以降の経営陣は「是々非々の労使関係」を目指し、松崎に対しては、飴を舐めさせながら、一方で時間をかけて牙を抜いていくという作戦をとります。この路線は2012年に社長に就任した冨田哲郎にも引き継がれます。
そして2018年、ついにJR東労組に激震が走ります。きっかけは春闘でスト権を確立し、ストを構えた労組に対し、会社側が労使紛争を防止する「労使共同宣言」の“失効”を通告したこと。これを機に脱退者が激増し、4万7000人(同年2月1日時点)いた組合員が1万4000人(同年6月1日時点)となり、10月には脱退者が3万4500人に上りました。組合員数は3分の1に激減し、同労組は崩壊の危機に追い込まれます。発足から30年が過ぎ、大塚―清野体制以降、慎重に進められてきた労組対策がやっと実を結んだのです。
JR東において、労組側にほとんど何も事を起こさせないで、組織を弱体化させたことは一面では成功だったのかもしれません。また、当時の経営陣のやり方がおかしかったのかと言えば、それしか方法がなかったと言えなくもない。一気に労使関係を正常化しようとすれば、大きな混乱が起きたことは否定できません。それでも、やはり松崎と手を握った住田―松田体制に対しては、私はもう少し別の方法があったのではないかと個人的には思っています。
JR東によると、東労組がスト戦術を打ち出した2018年2月頃から、首都圏を中心とした管内各線で不審な事故が相次ぎました。当局は内部犯行の疑いもあるとみて、警戒を強めています。また、JR総連傘下のJR北海道労組が9割以上の組織率を占めるJR北海道では2011年以降、承知のように事故が相次ぎ、現役社長が自殺。2014年には元社長も自殺する異常事態が起きています。