さっそうと歩くタッキー(写真は今年4月)
滝沢は中学生になると、貧しい家計を助けるために、仕事を探すようになった。子供でも働ける場所――そんな時、たまたま目にしたのが、姉が夢中になっていたKinKi Kidsだった。アイドルになりたいわけではなかったが、働きたい一心でジャニーズ事務所に自ら応募した。
書類選考を通過してオーディション会場に向かうと、質素な服を着た1人の男性が参加者にハンバーガーを配っていた。オーディションが終わるとその男性は滝沢にこう告げたという。
「ぼくがジャニーです」
滝沢が初めて“父”に出会った瞬間だった。そこから滝沢の人生は急転する。オーディション1週間後にジャニー社長から連絡が入り、2週間のダンスレッスンを受けただけでKinKi Kidsのバックダンサーとして初ステージに立った。
「その後、スターへの階段を駆け上がっていくタッキーに、ジャニーさんは歌や踊りだけではなく、人間としての礼儀やマナー、立ち居振る舞いまで厳しくも温かく教え込みました。タッキーが反抗期を迎えて大変な時期もありましたが、ジャニーさんはしっかりと受け止めていた。よく、“滝沢は母親譲りの女の子のような美しい肌を持っている。でも男っぽいんだよ”と評価していました。2人は実の父と子のような関係だったように思います」(前出・芸能関係者)
ジャニー社長の教えを吸収していった滝沢は14才でオーディションの面接官を担当するようになった。
「関ジャニ∞の横山くんは、滝沢さんが面接官を務めるオーディションに参加しました。お飾りではなく目立つ鋭い面接官で、当初からプロデューサーとしての能力を見せていたそうです」(スポーツ紙記者)
その後、滝沢はジャニーズJr.のリーダーに任命された。当時のJr.は後に嵐となるメンバーや山下智久(34才)、生田斗真ら多くのスター候補生がひしめいていたが、大抜擢された滝沢は“父”の期待に応えるべく奮闘した。
Jr.を支えながら2002年にタッキー&翼でデビューし、トップアイドルとして活躍。俳優やバラエティー番組の仕事をしながら後輩たちを指導した。
2009年にはソロとして、デビュー曲『愛・革命』をリリース。自身で作詞、作曲を務め、ジャニー社長も絶賛したという。
そして2018年9月、ジャニー社長の後継者となるべく、滝沢は芸能活動の引退とプロデュース業への専念を発表。トップアイドルの裏方転身という「革命」を受けて、ジャニー社長はこんなコメントを出した。
《私は驚きとともにうれしくて涙がこぼれそうでした。このような決断をしてくれた滝沢には心より感謝しています》
※女性セブン2019年8月1日号