「音楽には著作権があります。急速なネットの発達で著作権を無視したコンテンツで溢れかえるようになったのは周知の事実。徐々にストリーミング式の定額サービスが主流となっていますが、これはかつてCDやダウンロード販売に比べて分配率が低い。音楽を耳にする時間が増えているはずなのに、著作権者の権利が縮小されたといっても過言ではない事態です。もちろん、アーティストの中には、ライブなどで食べていける人もいるだろうし、そうした流れになるのも仕方ない。しかし、著作権者の権益を守ろうという姿勢をやめてしまえば、新しく登場するクリエイターは何をきっかけに収入を得られるようになればよいのか」
こうして聞けば、著作権管理に対する真っ当な姿勢のもと、JASRACが活動していることは疑いようもない。漫画や映像作品の著作権侵害については、業界にだけでなく一般人にも厳守しなければならない、著作権者に利益が出るべきだ、という感覚が拡がっているように感じる。音楽だけが除外されるものではない。
時代の流れは確かに変わり、一個人がYouTubeなどを通じて楽曲を発表し、音楽出版社などを介さずに利益を得る例も数多くあるが、だからと言って、著作権者の利益を守る機関が不要かといえば、そうは言い切れない。いまだに不法な音楽コンテンツがネット上に存在している以上、彼らの行為はやはり著作権者に一定の利益をもたらすのは明らかだ。しかし、音楽教室にまで「請求」をすることに関して、疑問はないのか?
「私個人の意見としては、少しやり過ぎな気もします。ただ、先方は小学校や中学、高校ではありません。音楽教室を開設し教育をするという目的はありますが、それ以前に利益を追求する一般企業な訳です。音楽教室を通じて、生徒さんに楽譜やピアノ、バイオリンなどの楽器を販売する目的もあるでしょう。やはり、誰かの“音楽”で商売をしているのなら、一定の使用料が発生するのは仕方のないことだと考えます。もちろん、教育目的もあるのですから、割引をするとか、そうした議論をすべきかと」
今回の報道で、論点としてあまり語られていない部分がある。それは、モーツァルトやベートベンなど著作権の切れた音楽はもちろん、子供用のレッスン曲にまで厳しく著作権料を請求しているわけではない、ということだ。現代ポップ音楽を用いた大人向けのピアノやバイオリンの音楽教室について、支払い義務が生じるという主張がなされている事実についても、もう少し理解が広がるべきなのかもしれない。
また、今一度「権利」とは何かについて、冷静に考えることも必要だろう。前述したように音楽は、映像作品や漫画などに比べて、著作者の権利が及びにくいという現実がある。鼻歌や口笛まで著作権が発生するのか、などと言った的外れな指摘はさておき、権利者のコンテンツを用いて営業活動をし、利益を得ているのであれば、そして権利者をリスペクトしているのであれば、権利者のために一定の金額を支払うという行為は極めて自然だろう。だが、その大半が自己申告をせずにタダ使いしている。尊敬はしていても金は払わない、という理屈が通るのか。権利という言葉すら、必要なくなるのではないか。
JASRACが市民から音楽を取り上げている、と脊髄反射的に批判ばかりするのは建設的ではない。各々の利害関係がぶつかる中で、音楽文化の発展に寄与するために何をすべきか、何ができるのか。一音楽ファンとして、感情的になりすぎない議論が展開されることを望みたい。