例えば「元旦」を季語とした〈今年はと思ふことなきにしもあらず〉に、夏井氏は〈思わず「ふふ……」と共感する〉と解説を寄せ、既に生誕150年を迎えた子規と時空を超えて連なる奇蹟に、喜びを隠さない。
「季語は時空間を移動させてくれるんですよ。明治の子規さんと令和を生きる私たちが季語一つで繋がり、その日常や肌感覚に、同じ生活者として寄り添うこともできる。
似たような句が頻出するのが短詩形文学の宿命である一方、上か下の5音分が新しければ句として新しくなれるのも俳句の面白さ。つまり常に新味を希求する性質を俳句自体が備えているとも言えます。芭蕉が不易流行と言ったように、いつの世も変わらない俳諧の精神が、私たちと子規さんを繋いでくれるんです」
〈作者の眼球に映った映像が俳句という言葉に翻訳され、読者はそれを映像として再生し追体験する〉〈たった一七音しかない俳句だが、そこに盛り込まれる情報量は侮りがたい〉とあるが、本書ではその情報を丁寧に辿ることで、作者の視線の動きや、僅か17音の中にもたゆたう時間の流れなどが、まざまざと再現されていく。
◆俳句は人生を救う杖になる
また子規が一つの着想を複数の句に詠んだように、言葉の使い方一つでまるで違う光景が立ち上がるのも俳句だ。例えば〈馬ほくほく椿をくぐり桃をぬけ〉と〈椿にさはり桃にすれ〉を比較し、〈動詞のカラクリ〉を読み解く面白さを説いていく。