教員が中流階級出身からなるのは、貴族は戦時に従軍するのが義務で、それ以外の労働をしないのが習わしだったからである。消去法でいけば、教員になりうるのは十分な教育を受けた中流階級の上層部に限られた。また貴族の子息からなる暴徒相手に同じく貴族からなる正規軍を差し向けては禍根が残るので、地元の有志からなる義勇軍に委ねるのが穏当なやり方であった。
このような無秩序を改善しようと敢然と立ちあがったのがトマス・アーノルド(1795-1842)という教育者である。彼は1828年にラグビー発祥の地である「ラグビー・スクール」という学校の校長に就任するにあたり、理事に掛け合って、全権委任を承認させていた。
アーノルドが実行に移した改革は実に巧みで、教員に対しては体罰を容認しながら、その対象を生徒が嘘をついた場合、飲酒をした場合、怠惰な習慣といった道徳的な罪を犯した場合に限らせた。一方で生徒たちに対してはファギングを容認して、上級生により大きな権限を与える反面、下級生に対して責任をもち、彼らを守る役割を担うようさせた。これまで通り、身の回りの世話や使い走りをさせてもいいが、他の上級生による暴力から守る役割、すなわち庇護者となるよう誘導したのである。寮の責任者にも教員を据え、監視を怠らぬようにもさせた。
アーノルドの改革はこれに留まらず、スポーツの授業にも及んだ。英国貴族の伝統であるフェアプレイの精神に加え、エネルギーの健全なかたちでの発散と協調性を養うためにも有効であるとして、個人競技ではなくサッカーやラグビー、クリケットのような団体競技を重視するようになったのである。中世騎士の流れを汲む上流階級には「危険を伴わないスポーツは自尊心が許さない」との考えも根強かったことから、激しい肉体のぶつかり合いを伴うラグビーはそれを満たす要件をもっとも強く備えていた。
アーノルドの改革が功を奏してラグビー・スクールは健全な学校として評判を高め、他の学校ものきなみ真似るようになった。それに伴い、アーノルドが校長として就任するより少し前に同校で生まれた新たなスポーツがラグビーの名で普及し、19世紀後半には全国のパブリック・スクールで必修とされ、今日に至るのだった。
日本で高校のラグビー部を舞台とした『スクール・ウォーズ』というテレビドラマの放映が開始されたのは昭和59(1984)年のことだが、期せずしてその主人公であるラグビー部顧問の教師にはアーノルドの姿が重なって見えもする。そんなことにも思いを馳せながらワールドカップを観戦するのもまた一興であろう。