「最初はここを舞台にしたソフィア・コッポラ監督の映画『ロスト・イン・トランスレーション』みたいな都会の恋愛小説を考えていたんです。でも編集者と話す中で、やはり違うと思い、一度リセット。
そして原点に立ち返り、古典の現代語訳に初挑戦することにしました。その中で、世界水準のホスピタリティを標榜するこのホテルでは、宿泊客もジムの会員も実に満ち足りた表情をしていて、ここは全てを手に入れた人たちの場所なんだなあと思ったのです。
例えば僕は車の運転が好きなのですが、速い車でビューンと追い越す快感もあれば、道を譲ってハザードで感謝を示される快感もある。つまり自分が得たいものを得る喜びの先には、たぶん誰かに分け与えたり報いたりする喜びもあって、後者の喜びの方がずっと大きいことをこのホテルのお客さんたちは知っているように見えた。だからこの日本一ラグジュアリーなホテルには源氏物語ではなく、山椒太夫こそぴったりだと、僕にはそう思えたんです」
〈ただ今語り申す御物語、国を申さば丹後の国、金焼地蔵の御本地を、あらあらと説明すれば〉と序詞からして名調子な本作は、〈幸せに隔てがあってはならぬ。慈悲の心を失っては人ではないぞ〉と説いた奥州岩城の判官正氏殿が不心得者の奸計に堕ち、太宰府に流された悲劇に端を発する。
母・御台所共々、伊達の郡・信夫の荘に落ちのびたアンジュと頭獅王はこの時、数え14歳と12歳。2人は父の冤罪を帝に訴えるべく母や乳母と共に京をめざすが、越後・直江で人買いの山岡太夫に騙され、2艘の船に分乗してしまったのが運の尽きだった。親子は別々に売り飛ばされ、泣き暮れて盲目になった母は佐渡の鳥追いに、丹後・由良の港を仕切る山椒太夫に買われた姉と弟は汐汲みと柴刈りに、それぞれ身を落とすのだ。