将棋界に留まらない活躍をしていた林葉直子氏(写真/共同通信社)

 何人かの男の職員がバタバタと走っていくので私もついていった。するとどうだろう。将棋会館の2階と3階の中間の階段の踊り場で、大男が林葉を殴りつけている。男性職員が間に入り必死に止めようとしている。その上から男のパンチが飛ぶ。男は林葉の父で、奨励会が行われていたその日に、福岡から出てきて林葉を対局室から引っ張り出したのだ。彼女は何かギャーギャーと叫んでいる。

 その頬へ父親の容赦のないパンチが飛ぶ。その光景を編集部員となったばかりの私は愕然としながら見ていた。しばらくもみ合いが続いたのだが、もっと驚いたのは林葉が、何人かでとり押さえる形になった父親の脛をめがけて、職員の足の隙間からガンガンと蹴りを入れていたのである。林葉は口を切った程度だったが、父親はひどい打撲を負ったのではないだろうか。

 林葉の奨励会生活は2年半で終わりを遂げる。その間に昇級もあったが、80人の男の中に女子が一人、大変に窮屈な思いを強いられたという。今も昔も将棋界は、男の社会だった。

「いちゃいけない場所にいた感じ。私が(記録係として)30秒、40秒と秒読みをすると、皆が振り返るのよね。私に負けたら坊主にさせられる、という話も聞いたな。休憩時はよく、(会場に)1つだけあった女子トイレにこもって『花とゆめ』なんかを読んでいたんだけど、まさか女子が入っていると思わないから、男性棋士が入ってきたこともありました」

 結果的に将棋に負け癖を植え付けられただけだったのではないかと林葉は言う。師匠のすすめにより林葉は奨励会を退会し女流棋士としてデビューすることになる。するとどうだろう。奨励会時代の屈折をバネにしたかのように林葉はあらゆる棋戦で勝ちまくる。あっという間に女流タイトルを総なめにしてしまった。まだ高校生。女流棋界始まって以来の大スターの誕生といってよかったろう。

 世間の目は一人の美少女棋士に集まり、未来は明るく輝いていた。その後林葉は女流王将を10連覇という偉業を成し遂げる。まさに向かうところ敵なしだった。

◆1994年──彼女はアイルランドにいた

 林葉が女流王将10連覇を達成したというニュースは大きく流れたが、しかし私に伝わってくる情報はあまり芳しいものではなかった。新宿で酒ばかり飲んでいるという。

 10連覇を達成した林葉は、敵らしい敵もなく目標を失ってしまったのではないか。絶対的女王なるがゆえの孤独感が漂い始めていた。

 1994年のある日、真夜中に私の家の電話が鳴った。出ると親しい関西の棋士で「林葉さんが将棋連盟を脱会しようとしている。自分にはもう止められない。大崎さん、何とかしてくれんか」と泣いている。聞いてみると林葉は翌々日の対局をすっぽかして海外へ脱出しようとしているという。対局は棋士にとって至上のものであり、どんなことがあってもそれをすっぽかすことなどできない。即座に退会を宣告されても致し方ない。林葉はそれを覚悟のうえで決行しようとしているのだ。

関連キーワード

関連記事

トピックス

東京都慰霊堂を初めて訪問された天皇皇后両陛下と長女・愛子さま(2025年10月23日、撮影/JMPA)
《母娘の追悼ファッション》皇后雅子さまは“縦ライン”を意識したコーデ、愛子さまは丸みのあるアイテムでフェミニンに
NEWSポストセブン
2023年に結婚を発表したきゃりーぱみゅぱみゅと葉山奨之
「傍聴席にピンク髪に“だる着”姿で現れて…」きゃりーぱみゅぱみゅ(32)が法廷で見せていた“ファッションモンスター”としての気遣い
NEWSポストセブン
渡邊渚さんの最新インタビュー
渡邊渚さんが綴る「PTSDになった後に気づいたワーク・ライフ・バランスの大切さ」「トップの人間が価値観を他者に押しつけないで…」
NEWSポストセブン
女優の趣里とBE:FIRSTのメンバーRYOKI(右/インスタグラムより)
《趣里が待つ自宅に帰れない…》三山凌輝が「ネトフリ」出演で超大物らと長期ロケ「なぜこんなにいい役を?」の声も温かい眼差しで見守る水谷豊
NEWSポストセブン
ルーヴル美術館での世紀の強奪事件は瞬く間に世界を駆け巡った(Facebook、HPより)
《顔を隠した窃盗団4人組》ルーブル美術館から総額155億円を盗んだ“緊迫の4分間”と路上に転がっていた“1354個のダイヤ輝く王冠”、地元紙は「アルセーヌ・ルパンに触発されたのだろう」
NEWSポストセブン
活動休止状態が続いている米倉涼子
《自己肯定感が低いタイプ》米倉涼子、周囲が案じていた“イメージと異なる素顔”…「自分を追い込みすぎてしまう」
NEWSポストセブン
松田聖子のモノマネ第一人者・Seiko
《ステージ4の大腸がんで余命3か月宣告》松田聖子のものまねタレント・Seikoが明かした“がん治療の苦しみ”と“生きる希望” 感激した本家からの「言葉」
NEWSポストセブン
“ムッシュ”こと坂井宏行さんにインタビュー(時事通信フォト)
《僕が店を辞めたいわけじゃない》『料理の鉄人』フレンチの坂井宏行が明かした人気レストラン「ラ・ロシェル南青山」の閉店理由、12月末に26年の歴史に幕
NEWSポストセブン
森下千里衆院議員(共同通信社)
《四つん這いで腰を反らす女豹ポーズに定評》元グラドル・森下千里氏「政治家になりたいなんて聞いたことがない」実親も驚いた大胆転身エピソード【初の政務三役就任】
NEWSポストセブン
ナイフで切りつけられて亡くなったウクライナ出身の女性イリーナ・ザルツカさん(Instagramより)
《19年ぶりに“死刑復活”の兆し》「突然ナイフを取り出し、背後から喉元を複数回刺した」米・戦火から逃れたウクライナ女性(23)刺殺事件、トランプ大統領が極刑求める
NEWSポストセブン
『酒のツマミになる話』に出演する大悟(時事通信フォト)
『酒のツマミになる話』が急遽差し替え、千鳥・大悟の“ハロウィンコスプレ”にフジ幹部が「局の事情を鑑みて…」《放送直前に混乱》
NEWSポストセブン
『週刊文春』によって密会が報じられた、バレーボール男子日本代表・高橋藍と人気セクシー女優・河北彩伽(左/時事通信フォト、右/インスタグラムより)
「近いところから話が漏れたんじゃ…」バレー男子・高橋藍「本命交際」報道で本人が気にする“ほかの女性”との密会写真
NEWSポストセブン