暦年の決め方を「紀年法」というが、これも序数詞、すなわち数え年である。世界中のどの国のどの王朝の紀年法でも必ず元年は一年である。「元年」とは「元の年」であり「元の年」であり、firstの年である。oneの前ならzeroもあるだろうが、firstの前には何もない。明治も大正もゼロ年から始まったりはしない。西暦(キリスト教暦)も元年は一年、仏暦でもイスラム暦でも同じだ。
世紀の数え方も同じである。百年単位が世紀。これも一世紀から始まり、ゼロ世紀はない。一九五〇年は頭に「一九」が付くけれど、二十世紀だ。その二十世紀が終わったのは一九九九年ではなく、二〇〇〇年である。紀元ゼロ年もゼロ世紀もないからだ。
序数詞は順序を表わしている。母の胎内や親孝行を表わしているわけではない。序数詞は親孝行の数字、基数詞は親不幸の数字?! そんなバカな。保守系の論者の説く道徳論って、こんなのばかりである。
◆モンダイ師弟の大ボケ対談
そう思っていたのだが、そうでもないと気づいた。この手のバカは保革・左右を問わないのだ。友人の歴史学者が面白い本を教えてくれた。二〇一二年に太田出版から出た見田宗介と大澤真幸の師弟対談集『二千年紀の社会と思想』である。
内容は読んでいないから知らない。書名だけで読む気にならないからだ。アオリを見ると、こんなことが書かれている。
「これからの千年を人類はどう生きるべきか?」「千年の射程で人類のビジョンを示す」
二十一世紀に入って既に十年以上すぎた。これからの千年の見通しを語ろうということらしい。いやはやである。