反対に、「国内の競技人口が少ない=五輪に出場しやすく、世界の競争相手が少ない競技」とは何か。各競技団体に問い合わせ、国内外の競技人口を調査した。回答のあった五輪種目で、最も少ないのは近代五種だった。
「2019年12月に行なわれた日本選手権の出場者数が妥当と思われますので、欠席2名を含めた42名となります。二種、三種に比べて五種は(馬の厩舎代などに莫大な費用がかかる)馬術も入るので競技者の数も少なくなります」(日本近代五種協会)
ただし、マイナーなアマチュア競技のほうが、メダルの“影響力”が大きいと見ることもできる。金ほどの輝きはないメダルでも、そのメダリストの人生を一変させるケースがある。
2000年のシドニー五輪では、岡本依子(48)が日本テコンドー初の銅メダル(女子67kg級)を獲得。その後、アテネ、北京と3大会連続で出場し、2015年から全日本テコンドー協会の理事に就任。2017年以降は、2019年に強化方針を巡る問題が勃発するまで同協会の副会長を務めていた。岡本はこう話す。
「シドニーの頃はフリーターで、親族のほとんどがテコンドーを続けることを心配していた。それがメダルを獲得したことで、家族が安心してくれるようになった(笑)。メダリストになっていなければ、協会の副会長を務めることもなかったかもしれない。メダルによって、人の評価は変わるんやなと思いました。
2019年12月から協会は新体制でスタートし、私は理事から外れましたが、指導者の育成に貢献したい。啓蒙活動に従事するのは、メダリストの責任でもあると思います。現在1万人の国内競技人口を10万人にまで増やしていきたい」
岡本や、北京とロンドンのフェンシング・フルーレ個人・団体で銀メダルを獲得し、現在は日本フェンシング協会会長となった太田雄貴(34)のように、「金」以外のメダルでも高く評価される競技がある一方で「金メダル以外はメダルにあらず」なのが日本発祥の柔道だ。
2000年シドニー五輪女子57kg級の銅メダリストである日下部基栄(41)は全7階級で金5個、銀1個を獲得するという、日本の女子柔道の大躍進の2004年のアテネで、ひとりだけメダルを手にできなかった。現在、福岡大学女子柔道部の監督を務める彼女は、当時をこう振り返った。
「帰国した時も、メダリストだけが会見に呼ばれて、私は一緒に福岡に帰る予定だった(谷)亮子先輩をひっそり待っているだけでした(笑)。左ヒザの前十字靱帯を断裂し、なんとかケガを乗り越えて五輪に出場できましたが、関係者以外にはそこまでの事情はわからない。周りは優しく接してくれたけど、恥ずかしくて、逃げ出したかった。当時、福岡県警に勤めていて、ネットなどでは『税金泥棒』などと叩かれました」
アテネの翌年、日下部はひっそりと引退し、福岡県警も退官した。