認知症の人は家族や住み慣れた家から離れることも大きな不安だろう。施設への転居を拒むケースもよく耳にするが、『きみさんち』ではほとんどの人が、3か月以内には落ち着くという。
「人間本来の適応能力に加え、認知症の人ならではの人間力のなせる業かもしれません」と言うのは、日々入居者に接する管理者の志寒さんだ。
「ある人はもの盗られ妄想が激しく、精神科での入院を経て『きみさんち』に来られました。またある人は認知症で衰えていく不安を日記に綴りながら家族とうまくいかず、地域の人の手助けを得てここに。
みなさん認知症になったことで居場所を失いかけ、不本意ながらも入居されたのです。
料理が得意で世話好きなある人は、自分が住み込みのヘルパーだと思い込み、『きみさんち』のすぐ近所に住んでいたある人は、自宅の工事のためにここに借り住まいしていると思っている。
認知症ならではの妄想や作話と言うこともできますが、自分の今の状況を合理的に説明するストーリーを作っているのです。“だから私は今、ここにいるのだ”と。ぼくらは自分が自分でいることを説明するのに頭は使わない。でもここにいる人たちは猛烈にエネルギーを使って自分の居場所を作っているのです。だから時々疲れてヘタるけれど、このたくましさ、すごいと思う」(志寒さん)
家族には不安や甘えをぶつけられるから、かえって関係を維持するのが難しい。でもグループホームの入居者同士は他人。気安さはあるが緊張感もあり、それぞれ自分の居場所を構築するのにほどよい環境だという。
「誰しも自分の居場所を勝手に作られるのは嫌ですよね? 認知症になっても、自分の生活や人生を作る力はまだまだ残っているのです。それをぼくらは引き出して支えるだけです」(志寒さん)
驚いたのは『きみさんち』での看取りの話だ。ともに暮らした仲間とのお別れは、さぞ大きなショックだろうと想像したが、みんなとても穏やかに受け止めていたという。
「100才を超えて亡くなったお仲間を送り出す時“この人はただものじゃない、徳のある人だよ”と称えて…。人の死をちゃんと得心している。人としてぼくらよりずっと達者なのだとあらためて思いました」(志寒さん)
老親を介護する家族へ、認知症対応のためのアドバイスをもらった。