「そうなの? わかった」とひと言だけ返し、私はテレビに向かった。母も黙った。内心、泣きそうだった。
でもここは温泉だ。そう思い直し、少し時間をおいて、「温泉行こうよ! 今度はゆっくり入ろう」と誘った。
大きな湯船に浸るともう母の表情は緩んでいた。私も日頃の疲れや五十肩の痛みが癒され、難しい思案も飛んだ。
「娘さんとお孫さんといらしたの? いいわね~」と、老婦人が母に話しかけてきた。
聞けば、子供の受験に追われている娘さんに厄介をかけまいと、老夫婦ふたりだけで来たという。少し心細げだ。
「高齢者も自立しなきゃね」と母が元気づけるように返すので、老婦人も思わず笑った。
実は、母は最近入浴を忘れることが多くなり、週1回の入浴援助を頼むようになった。ヘルパーさんの前で裸になるのを嫌がるかと心配したが、機嫌よく応じているらしい。これも立派な“自立”だ。
ゆっくり湯に浸って、いつもの前向きな母に戻った。やはり温泉の力はすごい!
旅の最終日、サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)まで送って行くと、なじみのヘルパーさんに「おかえりなさい」と迎えられ、うれしそうな母。
「楽しかったね、また行こうね」と、ご機嫌な笑顔で手を振り、私たちを見送った。
※女性セブン2020年2月13日号