「知識というのは本質的に内に閉じていきがちですが、それを皆で分かち合おうとした誠之助は真の知識人、インテリゲンチャだったと思います。誰もがおかしいと思ったことはおかしいと言える社会を目指し、立場の弱い人に諦めを説くのは耐え難いと書く彼にとって、常に問題は今、目の前の相手をどう救うか、でした」
彼が食堂を開いてから、明治44年1月、〈刑法七十三条事件〉で処刑されるまでを追う本作では、古くから熊野川の水運と材木業で栄えた新宮の町や、揃って個性的な誠之助の一族など、理不尽な結末に比して、物語の陽性な世界観が印象的だ。
「新宮といえば中上健次の物語世界が有名なので、今回は中上の新宮とは違う新宮をいかに描くかが最初のハードルでした」
また柳氏は舞台である新宮の方言に〈敬語がない〉ことも注目すべきだという。
「実際に何度か足を運び、地元の人たちと言葉を交わすうちに、誠之助の行動原理のようなものが理解できる気がしました。それほど、人間関係や社会の在り様は、言葉によって規定されているということです」
◆司馬さんとは違う「明治」を
第9章「社会主義とは何か?」や第14章「足尾銅山事件」など、書き手自らが登場し、最新の研究成果も踏まえて解説を加えるくだりは、司馬作品さながらだ。
「日露戦争勝利までを日の当たる場所から描いたのが司馬さんの明治だとすれば、私はそうではない立場から日露後の明治を書こうと」
その日露戦争に関しても、〈国家や資本家(金持ち)のために、日露両国の労働者(貧乏人)が殺し合う必要はない〉と誠之助の態度は一貫し、〈社会主義者であったから戦争に反対したのではなく、戦争が嫌いであったから社会主義者を名乗るようになった──案外、その辺りが真相なのかもしれない〉。