ところがある日、出先から戻ると社内の空気は重く、聞けば同じ部の〈山田さん〉が窃盗で逮捕されたという。実はこの日も自分だけサッサと帰宅した部長のことを、〈チャラ男さんですよね、あのひとは〉とかつて評したのが山田だった。

 盗癖のせいで職を転々としてきたという山田は〈外資系でも公務員でもチャラ男はいます〉〈人間国宝にだっているでしょう。関東軍にだっていたに違いありません〉と力説。以来部長は社内で密かにそう呼ばれるようになるが、岡野は思う。〈軽いしちょっと変わってるけれど、そんなに悪い人ではない〉〈見栄っ張りだけれど、お洒落が似合うルックス〉〈いつもいいスーツを着て、いい時計をしている〉

「縁故入社のチャラ男は、食えないヤツでありながら、もしやこれが新しい働き方? とも思えてきて、要するに憎めないんです」

 だが山田さんや、社長の秘書役で実は政治家志望の〈池田かな子〉、鬱病での休職明けの〈伊藤雪菜〉の眼を通すと様相はまた違い、語り手の数だけ真実はあるのだった。

◆会社員という役割を演じているだけ

「私はいろんな鳥が順々にとっておきの話を披露する中勘助『鳥の物語』が好きで、その形式をとると、人の悪い部分も魅力も、いろいろ沁み出してきそうだと思い、トライしてみました。

 今って善悪をわりと早く決めつけてしまうと思うんです。この人は悪者と決めたら最後、いい面は一切見ないとか。でも実際は信用したくないから信用できないだけだったり、人の評価なんて相性や状況や体調一つで変わる。なのでお弁当みたいにいろんな味を入れて、味わいの変化を楽しんでもらいたかったんです。

 私自身は会社員を辞めてもうだいぶ経ちますが、当時は大事に思っていたことが全然大事じゃなかったり、離れて初めてわかることもある。好きでもない相手と毎日会って、社員旅行まで行くなんて、よく考えたら変な集団です。だからくだらないことで諍い、人としてどうかと思うこともやれてしまうんでしょうが、互いに会社員という役割を演じているに過ぎない分、時に酷い壊れ方をするのも会社なんです」

〈ここ十数年で、日本の社会が失ってしまったのは、企業しか持ち得ない良識やお行儀、そして文化だったのではないか〉というある人物の台詞が印象的だ。

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