父親を早くに失い、わけあって青森の祖母に育てられた桐子にとって、祖母の味は人としての軸にも近い。だが彼女は、広尾に豪邸を構える医師一族出身の夫〈圭一〉にその軸を否定された上に、服装や行動まで管理されていた。実は昼食のサンドイッチも夫がSNS映えを意識して手作りしたもの。その断面の美しいサンドイッチ同様、お洒落で完璧な妻を演じさせられている彼女は、元々好きだった料理をする機会すら奪われたのだ。
◆誰と食べたかで味わいは変わる
「私も家族に『青森出身だから料理がしょっぱい』みたいに言われたらカチンとくるし、自分を全否定されたみたいで哀しくなる。まあそんな時は往々にして地方差より夫婦仲の問題なのかもしれませんが(笑い)。もちろん料理上手な夫の行動の何が悪いという人もいる。ただ味覚は人としての軸や自信にも繋がる分、それを人に支配される怖さもまたあって、そんな時、桐子ならどうするかなあと思って書きました」
そんな食の持つ両面性にも果敢に目を凝らす彼女が、おいしさの表現で最も力を入れたのが料理名だという。
「結構おいしさの表現って種類が限られるんですよね。もちもちとかフワフワとか、口の中でトロける~とか。むしろお店のメニューの方が雄弁だったりするし、味自体を事細かに描写するよりは、字面から味や季節感まで想像できる『おいしそう』をめざしました」
タイトルは鰯や鯵のような安い魚でも〈七度洗えば鯛の味〉という諺に因み、関東では鯉の味ともいう。要はおいしいものを食べるためなら手間を惜しまないのが人の業ともいえるが、人間関係もそう。祖母の死以来、連絡も取っていない母親や、夫との偽りの関係、そして匙田や祥太郎との関係など、何を大事に育てていきたいか、決めるのは桐子本人だ。
「桐子が夫との生活を捨て、匙田さんに走るのかとか、特に後半は私ですら想像しなかった展開もあります。彼女の性格だとここは言わない方がいいことも言うだろうなあとか、基本的にはキャラクターがストーリーを決めていきました」