「熟知してればオタク相手の転売が一番いいんだ。そっちは社会問題にならない。だってオタクがどうなろうと世間は関心ないし、同情も少ない。“○○ちゃんのフィギュアが手に入らない、ブヒー”なんて笑いものになるだけだろ、な?」
オタクを軽んじる言動はいただけないが、趣味の重要度が高い生き方が想像できない人々がいるのは現実なので、転売によって生じる不都合への悲しみや怒りが理解されないのは仕方がない部分があるかもしれない。しかしマスクは違うだろう、生活必需品だ。
「だから違法じゃないでしょ? わかんないなアンタも。仕入れて高く売ってるだけだよ。それに100万ぽっちだ。買う人がいるからその値段をつける、あたりまえじゃないか。俺はあくまで商売としてやってるだけだから。俺は他の連中よりは安くしてるから感謝されることもある。そもそもマスクが足りないのは俺のせいじゃないだろう」
高く売ることはやはり問題ではと重ねて問いただすと、金田さんは感謝されこそすれ非難される覚えはないと声を荒げた。繰り返し問いただしたことで、金田さんもイラつき始めたようだ。さっきからちょくちょく恫喝まがいの口調が混じる。危険を感じ私は話を変えた。「でも編集者の時いい本作ってましたよね、こんな仕事しなくても」と。先にも触れたが金田さんは元編集者、有名なゲームやアニメのムックや攻略本を手掛けたこともある。
「そりゃ食うためだよ。食うためのシノギ。50歳近くなったフリーの編集なんて、ほとんど食い詰めることくらい日野さんだって知ってるだろ」
◆中年の独身男なんて、みんな「無敵な人」
確かに40歳過ぎたオタク編集者など、よほど実績のある人でない限り同業で再就職は厳しい。私は漫画編集もしていたので、独立してしばらくは幸いにしてソーシャルゲームのコミカライズや携帯漫画で稼がせてもらったが、知り合いのオタク系情報誌の編集は引退して実家に帰ったり、別の仕事をしているのが大半だ。とくにかつてドル箱だったゲーム攻略本やゲーム情報誌の専業フリーランスはほぼ壊滅した。
「よっぽどいい大学出て新卒か、金持ちのボンボンでもない限り出版社なんかで働くもんじゃないね。どこも非正規の使い捨てか都合のいい実力主義だ」
金田さんは専門学校卒。しかし学歴など端緒の話、私の先輩方など死屍累々で退職後に裏商売で逮捕された編集長や同僚、生活保護ビジネスに騙されてタコ部屋にいる元副編集長もいる。彼らは誰もが知る大手出版社に勤め、大学も一流だった。それなりの学歴でも生き残るには厳しい世界だ。もっとも、彼らの共通点を探すとするなら独身ということか。
老いての孤独は社会性と自他との客観性を鈍らせ、人間を追い詰める。追い詰められた先の崩壊だ。失礼を承知であえて言わせてもらうと、金田さんにもその匂いがする。表の顔は一人編プロの社長だが収入の大半は転売だから実質的な本業は転売、際どい道を歩いている。話を聞きながら転売行為に苛立つばかりだったが、私はふと寒気を感じた。ほんの少し歩む道が違っていたら、私も金田さんの側、そっちだったかもしれない。いや、まだそっちになる可能性があるのではないか。私は率直に「そういうの、楽しいですか?」と尋ねた。
「しょうがないよね、他に食ってく道ないし。編プロは開店休業状態だけど、転売はうまくいってるからさ。実家は四国の田舎だから帰ったって仕事ないよ。転送先に利用するくらいだ。でも楽しいっちゃ楽しいよ、売ってくださいとみんな来るわけだ。なんか胸がスッとする。あくまで俺は売ってやる側だから。世の中混乱していい気味、ざまあな気持ちもある。
独身転売ヤーのアラフィフ、金田さんもまた、団塊ジュニアおじさんの「無敵の人」ということになる。私は浮かんだ通りの言葉を正直に吐いた。「無敵の人ですね」。
「そうね、失うものはないね。中年の独身男なんてみんなそうじゃない? 転売でもなんでもして生きてかなきゃね」