誰かに相談したいが、答えてくれる人がいない経営者にとって、鴨頭は駆け込み寺のようなものなのだろう。そう考えると、鴨頭が高名な僧侶に見えてくる。また、聞いた側が傷つかないといった点も特徴的だ。鴨頭の語りには全てを受け入れてくる父性がある。
ところで、鴨頭は中田敦彦との対談で「今までは講演家だったけど、これからは思想家のステージに行く」と新たなる野望を語っていた。ここで言う鴨頭の思想とは公式ページを見る限り「『いいね!』と互いに承認し合う社会の形成」だと思う。やっと講演のメリットがイマイチ分かりにくかった理由に気づく。鴨頭の最終目標は人の感性を変化させることである。ゆえに論理だけでなく感情論も織り交ぜる。1本目の動画で話されたマクドナルドのエピソードトークは一種の踏み絵だ。素直に感銘できた人は鴨頭に共鳴するタイプ、互いに「いいね!」する社会の形成を応援できる人である。しかし、初回からつまずいた僕のようなタイプは難しい。惰性で講演動画を観ることは出来るが、前述したように最後までグッとくることがない。
8年ほど前、視聴者の相談にみうらじゅん(イラストレーターなどで)が答えるテレビ番組があった。そこで印象的だったのが「会社の後輩に慕われなく困っています。時々、ご飯も奢るのですが……」といった相談。これに対し、みうらは「普通にご飯を奢っても人は付いてきません。フグや蟹などを奢ってやっと慕われるのです」と答えていた。慕って欲しい相手に対して、共鳴も共感も求めていない回答である。仮に鴨頭ならどう答えるのだろうか。「自分が変われば相手に伝わる!」とでも言うのだろうか。
自分を上司だと想定した場合、みうらの回答はすぐに試すことが出来るが、鴨頭の回答は難易度が高い。僕のようなタイプは、まず自分を変える努力をすることが面倒だと感じてしまう。その逆で自身を後輩だと仮定した時、フグと蟹はたまらなく魅力的だが上司の熱情はむさ苦しい。実体験なので断言できるが、美味いものを奢ってくれた人のことは忘れないものである。僕もふとした瞬間、過去、編集長が奢ってくれた寿司とステーキの味を思い出す。それと連動して「高いものを奢ってくれた編集長は良い人だなぁ」といった尊敬の念も発動する。
とどのつまり僕は「鴨よりも蟹!」の方が後輩に慕われそうだ、と思っている。
(文中敬称略)
●ヨシムラヒロム/1986年生まれ、東京出身。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。イラストレーター、コラムニスト、中野区観光大使。五反田のコワーキングスペースpaoで月一回開かれるイベント「微学校」の校長としても活動中。著書に『美大生図鑑』(飛鳥新社)