子どもたちは教室の真ん中に集まって、手を握り合い、肩を組み合いながら、地震の揺れに耐えた。泣き出す子もいたという。
その後、校長の指示で校庭に出た。余震が続いていたため、教室に戻ることは危険と判断し、上履きのまま帰宅することになった。ランドセルは明日持ちに来ればいい、とだれもが思っていた。
しかし、翌日早朝から福島第一原発が危機的状況に陥る。避難指示も3キロゾーン、10キロゾーンと広がり、町に入ることさえできなくなった。
すべてはここから始まったのだ。いまにも子どもたちの声が聞こえてきそうな教室を見ていたら、涙があふれてきた。ランドセルの持ち主たちは、どんな経験をし、今どうしているのだろうか。
◆「やっぱりふるさとがいい」
富岡町にある夜ノ森駅の真ん前に美容室がある。「まぼろしの美容室」と呼ばれていた。月に3日ほど、夜、明かりがボーッと灯る。だれがやっているのかわからない。キツネかタヌキか。まるで宮沢賢治の童話の世界のようだ。
そのうち避難している元住民の間で噂が広がって、遠くから客が訪れるようになった。客を迎えた美容室では、お茶やコーヒーが出て、ちょっとしたサロンのようになったという。
富岡町に戻ってきた大和田春男さん(81)の家では、4軒ほどの人たちが集まって、お昼ごはんを食べていた。ふだんから食事会やお茶会をしているという。
「帰って来て大正解。やっぱりふるさとがいい。よその町で過ごしていたときは何か肩身が狭かった」