避難生活は苦労しただけに、喜びもひとしおである。だが、その喜びは複雑だ。近隣では、戻ってきた人は1割にも満たない。家屋の解体を済ませたところも多い。大和田さんたちは何度も「寂しい」と繰り返した。
だからこそ、戻ってきた住人同士は連絡を取り合い、助け合ったりしている。あの日、教室で子どもたちが手を取り合って励まし合ったように。震災は今も続いているのだ。
◆福島県を健康長寿日本一へ
福島の人たちは、人を招いて食事をしたり、お茶を飲んだりすることが好きだ。ぼくも震災以降、福島に通い続けるなかで、たくさんの人と知り合い、家によく招かれた。なかには親戚のようなつきあいになった人もいる。
今もぼくが福島に来ていることが知れると、携帯電話が鳴り「今日は鎌田先生の大好きなホッキごはんを作っておくから、食べにきて」などと誘われる。「うちに泊まっていきなさい」と言われ、本当に何回か泊まらせてもらった。
ぼく自身、こうした福島の人たちに支えられて、支援を続けてこられたような気がする。支援の内容も9年間で変化した。
初めは避難所で暮らす人たちの健康を支えることだった。見えない放射線への不安をどう解消するかという問題にも直面した。福島の子どもたちに、放射線を気にせず外で思う存分遊んでもらおうと、長野県に招いてきた。
医療や介護を届ける人と人とのネットワークや住民同士のつながりが大事だと思い、その再生も応援してきた。南相馬市の絆診療所をときどき訪ね、健康づくりの手伝いもしている。