日本国民の多くは、すでに相当苛立っている。「いつニューヨークやイタリア、スペインのようになるかわからないぞ」と脅されながら、突然の学校休校から始まって、マスクや除菌アルコールの入手困難、ようやく五輪延期が決まったと思ったら矢継ぎ早に要請される自粛、自粛、自粛の嵐。なのに、未だ曖昧で頼りない補償の話……。
そりゃあ、ネット上で文句の一つも言いたくなるものだ。それで少しでも気持ちが楽になれば、これ幸いである。みんなで団結してじっと我慢することが必要なのだろうが、溜まっているものを吐き出すのも精神衛生上、大事なことだ。
フザケルナと思えば、そのまま書きつければいい。我々にはその自由があると、私は思っている。さらに、このコロナ対策で、政府がおかしなことをしていると感じたのなら、積極的にその感じを言語化するべきでもある。
政府としても、初めての体験の連続なのだ。他意なくピントのズレた政策を進めようとしてしまうこともあるだろう。そういう時に、何がどうおかしいのか、国民の側から指摘、批判することはとても重要ではないか。
それが証拠にというか、4月7日に、厚労省がコロナ支援金制度を見直した件は、国民が声をあげたからこその成果に他ならなかった。
小学校などが休校になった子供の世話で仕事を休んだ保護者に支援金が支給されると決まったが、そのフリーランスへの支援金支給要領で「性風俗業」や「接待を伴う飲食業」の関係者が対象から外されていたのである。それに気づいたセックスワーカー団体のSWASHが厚労省に抗議文を提出したことをきっかけに、メディアの報道が相次ぎ、寺田学衆議院議員らが加藤厚労大臣らに質問、ついには菅官房長官の不支給要件見直し発言を引き出したのだった。
メディアの報道でこのズレた政策のことを知った一般の人たちも、ネット上でかなり大きな声をあげた。この件は、当事者団体の素早く的確な行動が功を奏したものだといえるが、それプラス、国民の声というものも大きな役割を果たしたに違いない。
そういうこともあるのだから、おかしいと思ったら、「おかしい!」と声をあげるべきなのだ。政治家や官僚というものは、われわれが想像している以上に、マスコミや世論で自分たちがどう思われているかを気にしている。下からあがってきた声が大きければ、見向きもしないでスルーというのは、意外にできないのだ。
布マスクを2枚ずつ郵送するという愚策は、残念ながらもう撤回してもらうことができなくなってしまったが、これから本格的に具体化が進められる補償についてなどは、おかしいと思ったら、当事者を筆頭に、たとえ外野であっても、どんどん文句を言うといい。その際に、糸井氏が辛く感じたような汚い言葉も混じって来るだろうが、それはそんなもんだと流していけばいいのだ。みんなで行儀よく、振る舞うだけが能ではない。
他人には、寛容に。国や政府に対しては、ひるまず、時には批判の声もあげる。コロナ禍を乗り切るには、そういう態度も求められるのだ、と私は思う。