昭和のプロ野球では20勝しても最多勝を獲れない投手がゴロゴロいた。年間120試合が行なわれた1952年、中日の杉下茂は32勝ながら、別所毅彦(巨人)に勝ち星ひとつ及ばず、最多勝のタイトルを逃している。
その杉下氏は“一桁勝利の最多勝”が生まれかねない状況をどうみているのか。
「真剣にペナントを争うなかでの記録ですから、他のシーズンと同様に尊重しないといけないと思いますよ。たとえ90試合でも、60試合でも、記録の価値は下がらない。同じシーズンに同じ条件で競うわけですから、一桁でも最多勝だし、32勝しようが2位は2位でしょう」
※週刊ポスト2020年4月24日号