嘱託で再雇用された矢野さんの大先輩から、昔は今以上に差別がひどかったと矢野さんは色々聞かされたという。確かに昭和の時代は私の記憶をたどってもひどかった。私は幼いころ、パッカー車の取っ手につかまる姿が当時、夢中で見たアニメのヒーロー、ヤッターマンみたいでかっこいいと思ったが、あれは随分前に禁止されたそうだ。私はペンキ屋の子なので差別感情どころかむしろ心無い連中に言われる側だったこともあり、人さまにしていただく労働にケチをつけるどころか差別するなどという露骨な感情は抱かなかったが、昭和の大人たちの大多数がそうではなかったことは知っている。そしてそれは現代でも変わらないことは、この生死のかかったコロナ禍で露呈したと思っている。
「それでもごみを集めるしかないからね、仕事だからね、家族が食いっぱぐれてないことを考えたら、これはそれで運がいいと思うしか無いよね。仕事はなくなんないからさ」
絶対に仕事がなくならない、それは矢野さんの仕事の強みだ。いま不要不急の仕事の大部分は厳しい状況にあるし、経済による死か、コロナによる死かの瀬戸際に立たされている業界もある。その辺、インフラは強い。
「でも若い子は来てくれないね、それどころかバイトがやめて困ってるよ。実家住まいの若い子なら、別にこんな時にこんな危ない仕事をすることないもんな、親からやめろって言われた子もいるよ、そりゃそうだよな、普段でも人気ないバイトだし」
矢野さんは正社員で責任者だが、バイトにとってはどうでもいい話なのだろう。仕事に困ったとしても、まだスーパーやドラッグストアのほうがましと思うのは無理もない。正社員の矢野さんの不安や悩みをバイト待遇の身で受け入れる人は少ないだろう。
「それにもうあったかくなってきたろ?臭いはそんなでもないけど、マスクがキツイんだ。真夏なんか窒息死しちゃうんじゃないのかね、汗も吸うだろうし、いまから憂鬱だよ」
臭いは慣れたら大したことないのでマスクなんかしない、それがコロナでマスクをしなければならなくなった。住民の目が厳しく、うっかり外そうものなら「マスクをつけてない」とまたチクられる。本当に大変な仕事だ。
「でも家族のためにやるしかないよね、家族がいてくれて本当によかったと思ってるよ、独り身は気楽だけど、やっぱ妻と子どもがいるのは心強いよ、家族で乗り切るよ」
矢野さんの言葉はありきたりでシンプルだが、だからこその真実だ。私も独りが気楽なこともあるが、やはり気づけば妻といる。それは友でも、もちろん親でもいいだろう。疫病とは戦時下だ。そんな未曾有の事態においては3つの敵がいる。疫禍と貧困、そして孤独だ。平時の孤独とは比べ物にならない、それは精神的な面以上に恐ろしいものだ。コロナの疑いがある状態に陥って、独りアパートに何日も、何週間も待機する。それこそ孤独死だ。実際に何人も発見されている。だからこそ独身者の多くは実家に帰る、ネットでもいいから対話を求める、あるいは外出禁止でも外に出る。それが非難される行為だとわかっていても。守るべき家族があり、そんな家族の凄いパパである矢野さんだからこそ、コロナ禍の危険と身勝手で心無い市民の人間禍にさらされながらも、彼らが吐き出すごみを収集し続けている。
「休みはとれてるけど、ずっと家にいるね。外に出るのは庭で息子のサッカーの相手くらい。息子の漫画、鬼滅(※『鬼滅の刃』)読んでるよ。あれ面白いね」
こんなにいいお父さんなのに日々危険に晒されている、戦争中もそうだったのだろうか、本当に時代とは理不尽だ。
疫病も戦争だ。見えない敵との戦争だ。時代は、社会はより一層シビアになるだろう。冗談で済まされたことも時に社会的に終わる事態となる。様々な事情で働かざるをえない人々を出勤しちゃうんだとツイートしたり、コロナで貧乏になれば若い美人が風俗に落ちて来てラッキーと公共の電波で言い放ったり、こんな戯言はもう無理なのだ。
矢野さんたちに対してもそうだ、インフラなんだから当然、それで飯食ってるんだろ、こっちは税金払ってるんだ、そんな甘えはもう許されない。コロナに乗じた職業差別、人間をそんな目で見てはいけない。このシンプルな人間に対する敬意に、一人ひとりがもう一度立ち返るべきだ。私たちはいかになろうとも、人間をやめてはいけない。
●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ正会員。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。