どこにも非常識な輩はいるが、矢野さんからはもっと信じられない連中の話も飛び出す。
「俺は仕事だから我慢するけど、ほんと家族だけは勘弁してほしい。俺は作業着のままとかじゃなく、ちゃんと気を使って私服で出社するし、事務所でちゃんとシャワーを浴びて着替えて帰るんだけど、ごみ収集の仕事ってのはみんな知ってるわけ、そりゃあちこち走り回ってるし近所くらいは知られるの仕方ないよね、だからってあの家はごみ収集してるからコロナが発生するんじゃないかとか、あの家はコロナとか言われてるみたいなんだ」
こんなひどい話はないし本当かと公正世界仮説の信者どもは疑うだろうが、これが現実である。矢野さんだけではない。私は医療関係者からも同様の話を聞いている。「コロナ罹りそうだから近寄らない」と言われてしまった町医者も知っている。用心は仕方がないが、あまりに心がなさすぎる。
「スーパーで買い物してても避けられてるって妻が言うんだ。被害妄想じゃないと思うよ、知り合いの奥さんだし」
矢野さんは子どもも心配だという。
「小学校が再開したらいじめられやしないか心配だよ。考えすぎかもしれないけど」
実際、医療関係者の子どもが保育所でそういう目に遭っているという信じがたい話も聞くがどうだろうか、親の職業でいじめられるなんてそれこそ昭和だが、コロナによる死の伝播の恐怖は現代人のつもりでいた我々を退化させてしまう、いや本来の人間としての野蛮な本性を恥ずかしげもなく晒してしまうというべきか。
「それにサッカー大会が中止になって落ち込んでるんだ。小6最後の大会だからね」
大人にすればそんなことで、かも知れないが子どもそれぞれにとっては一大事だ。スポーツでなくとも、中学受験の子どもたちや親はこの状況ピリピリしている。塾が休みたくとも「なんでやらないんだ」という親だっている。だから大手はともかく、小さな個人でやってるような個別の塾はやっていて、親はそちらに通わせる。周りの子と差をつけるために。コロナがどうした、出し抜いた者が勝つ、そんな親は多い。とくに団塊ジュニアの親は空前の受験戦争をくぐり抜けた偏差値輪切り教育下の蹴落とし世代、お受験に敏感だ。そこまでじゃなくとも、学校がいつまでもやらないことに内心不満な親は多い。それは子ども、とくにせっかく受かったのに学校すらろくに通えていない新高校生や新大学生も同様だろう。
「子どもにはいろいろ言い聞かせてるけど、なかなか難しいね。俺は外で仕事してるわけだしね。庭でサッカーしてあげるくらいだね」
◆それでもごみを集めるしかない。仕事だからね。
矢野さんは使うタオルから何から徹底して別にしているそうだ。一戸建てなので家族とは別の部屋で寝起きするようにしている。食事も自分の部屋でするようになった。それでも子どもはサッカーの練習相手をねだる。矢野さんは高校までサッカーをしていたので上手い。子どもにとっては凄いパパだ。
「それはそれで昔の一人暮らしみたいなもんで気楽だけど、いつまで続くのかとおもうとね、でも万が一を考えるとね」
このコロナの中で働く人の中には家に帰らないようにしたり、車中泊という極端な対応をする人もいる。医療関係者はとくにそうで、仮眠室暮らしという男性看護師は妻と産まれたばかりの赤ちゃんに万が一があったら、と考えてのことだった。だがそれも、いつまで続くのかと考えれば疲弊するのも当然である。
「だからそんな中でごみ収集が遅いだのコロナが伝染るだの言われるとね、さすがに気が滅入るし、そんな話を仲間ともしてる。そのうちコロナ家族なんて言われるんじゃないかってね、まだ会社にコロナの人は出てないけど、出たらそれみたことかだろうね」