私が文科副大臣だった2012年、教育の情報化のために教材整備費として10年で総額約8000億円の地方交付税措置を行いましたが、目的外に使用してしまった市町村のほうが多く、整備の程度に地域のばらつきがあり過ぎる。そうした首長や市町村議会議員を選挙で選び続けてきたツケが回ってきているのです。いま、9月入学にしたところで、来年の冬に新型コロナが再流行して休校になったら、また半年ずらすことになりかねません。新型コロナの非常時をチャンスと捉えて、一気に9月入学を導入してグローバル化したいとする気持ちもわからないでもないですが、まずは教育の情報化を進め、いつ何が理由で休校になっても遠隔授業ができる態勢を整えることのほうが重要です。速やかに遠隔在宅学習に切り替えられる体勢を整備することは、他の自然災害時にも大変有効です。
──「9月入学」という言葉に惑わされて、問題の本質を見失っているのではないかと。
鈴木氏:はじめに9月入学ありきで議論を進めるべきではないということです。9月入学は一つの有力な対応策ではありますが、検討すべき対応策は他にもたくさんあります。学校の進級・卒業要件の考え方には、「履修主義」と「修得主義」の2つがあります。履修主義は授業に出席して決められた時間学べばOK、修得主義は教育目標を達成したらOKという考え方です。日本の小中学校は履修主義。高校は単位制で、みかけ上は修得主義ですが、実際には、学習指導要領で標準授業時数が決まっていて、出席管理が厳しく、逆に出席さえしていれば単位を落として留年することも稀で、実質的には履修主義です。イギリスでは小中学校も修得主義で留年することもあります。
新型コロナ休校による授業の遅れをめぐっても、教員は学習指導要領で定める授業時数を確保できなくなっていることを問題にし、保護者は実際の学力修得の遅れを心配しています。実は、双方の認識や議論がずれているのです。履修主義を修得主義に変えれば、授業時間が減っても学習指導要領が提示している教育目標を達成していればいいので、達成できている生徒はそれで問題ないし、できていない生徒には、それこそ休校時も優先的に登校させたり、放課後の補習や個別指導をしたり、できようになるまで教えて達成させようということなる。そうすると、学力以外の教育目標の達成にシフトできます。つまり、学校行事での協働の体験であったり、生徒同士のコミュニケーションであったり、そうした学校生活でなければできないことに、貴重な授業時数を割くことができる。部活や学校行事、HRなどの時間こそ、子供たちには確保してあげるべきで、今の学校の対応は逆になりつつあると心配しています。
学力修得は、工夫次第でやりようはあります。たとえば、区立麹町中学校(東京都千代田区)では、タブレットを配布して数学の学習システムを使ったら、平均で3割も修得に要する時間が短縮できたという実績をあげています。今回の休校で、「NHK FOR SCHOOL」というオンライン教材の有効性も多くの教師が実感したと思います。オンライン学習の導入ができていれば、授業の進め方ももっと効果的に変革できます。授業時数をこなせばいいという発想を捨てて、学びの質を上げる授業を濃厚にしていけば、学校でしか実現できない価値の創造と提供にエネルギーを注ぐことができる。その鍵が、履修主義偏重の見直しです。授業時数を過度に気にする履修主義が今のまま墨守されると、授業さえしていれば責任が果たされたことになる。となると、公立と私立、塾に通わせられる家庭と通わせられない家庭で生まれる学力差は一向に解消されません。
ですから、今、議論すべきは、日本にはびこる履修主義偏重を脱して、標準授業時数を少なくとも高校からは取り払い、小中も弾力化して、学び方自体をもっと柔軟に個別最適化することです。高校では、「学びの基礎診断」(生徒の基礎学力の定着度合いを測定するしくみ)が導入されることになっているので、これを期に、実質的に修得主義に大きく舵を切る議論こそ、しっかり進めてほしいと思います。