門田博光氏は南海で活躍した
当時のパ・リーグ名物だった「ヤジ」は、選手たちに痛烈な記憶を残している。1950年代から1970年代に阪急ブレーブスなどで歴代2位となる350勝を挙げた米田哲也氏(82)はこう振り返る。
「当時はヤジが球場内に響き渡った。選手がスタンドまで走っていって、ヤジった客をぶん殴って大問題になったこともあります」
このヤジについて、1981年のドラフト1位で近鉄バファローズに入団した金村義明氏(56)が回想する。
「関西の3球団(阪急、近鉄、南海)のファンによるヤジ合戦はもはや名物でしたね。
そのネタがすごい。どこで調べたのかと思うほどプライベートに食い込んでいた。“おまえ、こないだクーラー買うたらしいが、プロなら月賦やのうて一括で買え!”といった調子で、選手まで笑ってしまうネタのオンパレード。ストーカーちゃうかと思うほどで、大阪球場での試合後は隠れるようにして飲み屋街に消えたものです(笑い)」(金村氏)
元阪急ブレーブス応援団長の今坂喜好氏が指摘する。
「野球本来の楽しみをそぐヤジはNGで、グラウンドの選手を苦笑いさせたらこっちの勝ちでした。当時は観客が少なかったから、球場が一瞬静かになるタイミングに合わせてヤジを飛ばすことができました。ただし、僕の声ばかり球場に響いても盛り上がらない。やっぱりヤジや声援が入り混じるなかでプレーしてこそ選手も張り切ります。プロ野球は客がいてこそ、ファインプレーが生まれるんです」
◆「今の選手は幸せです」