そして、「次は実力で行ってみるか」とたけしと自腹で銀座に行ってみた。ただ行ったはいいが、たけしが銀座のクラブのナンバーワンホステスの月給が200万円だという記事を読んで、1軒200万円と勘違い。給料日にお互い2000万円ずつカバンに詰めて銀座に行ったので、怖くて店では荷物を預けられずに抱いたままだったから、ちっとも楽しめんかった。それで会計をしてもらうとたった13万円。たけしは「安~っ」と叫んでた(笑い)。金銭感覚のマヒというより無知で、税金もたんまりもってかれましたが、とにかく最高な毎日でしたね。
こんな時代が4年ぐらい続いたかな。漫才ブームが突然終わったわけでもないが、たけしはバラエティをやり、紳助は司会をやった。僕は漫才が一番得意だった。相方を変えればまたウケると思ったのが間違いで、僕だけ仕事が激減したが、居候をしている時にたけしのアドバイスで『佐賀のがばいばあちゃん』の本を書いてベストセラーになった。「笑えば医者いらず」をテーマにした講演も人気が出て、ありがたいことに今では4800講演を超えている。僕は浮き沈みも日本一やと思っています。
もちろんM-1のような戦いの場は必要で、せめてそこでファイナリストに入らないと使う側だって面白さが分からないだろうが、そもそも今の若い子はテレビに出るまでの芸が出来上がっていない。だから消えていく漫才師が多すぎる。ミルクボーイがウケた理由は芸が完成していたからです。まずは板の上で漫才の基礎を作り、その上でテレビ芸を覚えるとブレークする。ツービートもB&Bもそうやってきたよ。
●取材・文/鵜飼克郎
※週刊ポスト2020年7月3日号