悪役は、悪役らしい演技の時ほど顔がアップで映し出されるものだから性悪ぶりがさらに強調されるし、追い詰められる正義側は、状況が切迫するほど顔のカットが切り替わり、切り替わるごとにアップになっていく。これから闘いが始まるというシーンでは、対立する相手を歩かせカメラに寄らせていくことで心理的な緊張感を生み出し、視聴者に緊迫感と期待を感じさせる。
敵同士火花を散らせるシーンでは、鼻先がくっつくぐらいの距離で互いにセリフを投げ合い、その距離の圧倒的な近さが徹底的にやり合っている印象を強くさせる。味方同士のやり取りでは、聞き手側の肩や後頭部を画面片隅に映し、肩越しから話し手の顔を映し出す。まるで自分がその場で相手と話しているような臨場感と、秘密の会議を覗き見しているような感覚も味わえる。
また、敵として対峙している時は、互いの顔を交互に正面からアップで映して敵対関係を強調し、敵から味方へと変わっていく時は、少しずつ身体や肩越しからのカットが入り、関係や気持ちの変化を表している。
敵の正体を暴こうという時は音声を先に入れたり、背後からのシーンで始まったりと、視聴者が一瞬「???」となる。こうしたさまざまな演出や凝ったカット割りを施すことで、俳優陣の視線の動きと視聴者の視線がリンクするような視覚効果があるのか、いつの間にか、ドラマの中に引き込まれてしまうのだ。
次に何が起こるのか?次の展開への期待が大きく膨らんでいく。やっぱり『半沢直樹』は面白い。