会見で質問に立った前FCCJ会長(当時)でロサンゼルス・タイムズ東京支局長のサム・ジェームソン氏(故人)は、1996年の日本記者クラブ会報で「雑誌記事についての質問が多すぎると、不満をもらしながら田中氏一行は出て行った」と舞台裏を回想。
続けて「日本の大新聞はそれまで『文藝春秋』の記事や『金脈』スキャンダルについて書いたことはなかった。(中略)日本のメディアがプレスクラブの会見を理由に、反田中キャンペーンを張ったのには驚いた」と打ち明けている。結果的に、会見が「今太閤」から「目白の闇将軍」へ暗転していく分岐点だったことがうかがえる。
金脈批判にさらされた田中首相はFCCJでの会見から約1か月後の11月26日、退陣を表明。翌12月9日に内閣総辞職し、戦後最年少(当時)の54歳で就いた最高権力の座をわずか2年5か月で去った。その後、1976年2月に戦後最大の疑獄事件であるロッキード事件が発覚。同年7月に逮捕され、後に起訴。政界の表舞台に返り咲くことは二度となかった。
※週刊ポスト2020年9月4日号