初期の日本人移民は、その多くが出稼ぎの志をいだいていた。ブラジルで一山あてて、日本へかえる。いずれは故郷へ錦をかざる。そんな想いにとらわれていた人びとは、街をどうこうしようと思わなかったのである。
しかし、第二次世界大戦をへて、日系人たちはブラジルで生きる途をさぐりだす。以前とはちがい、ブラジル社会のなかに自分たちの居場所をつくろうとしはじめた。多民族国家ブラジルの、その民族的な一翼をになおうとして。
街頭模様だけではない。花祭りや餅つき大会も、一九七〇年代に普及した。同じころにはじまった七夕祭りは、日系の枠をこえてブラジル社会に浸透する。日本でも、若い世代は、一見伝統的とうつる祭礼を、しばしばこしらえてきた。そんな伝統の模造品を、ブラジルの日系人が仮構したそれとくらべるところに、ひかれる。
※週刊ポスト2020年9月11日号