「まだ高校生のときの松坂に勝てていない」
星稜を下した横浜は、準々決勝でPL学園(大阪)を延長17回の死闘の末に撃破し、準決勝で明徳義塾(高知)と対戦する。前日のPL戦で250球を投げていた松坂は先発を回避。しかし明徳の強力打線は横浜の2年生投手を攻略し、8回表を終わって6-0と大量リードを奪う。
関本大介はアルプススタンドの明徳応援席からチームメイトに声援を送りながら、「勝てるぞ!」と勝利を確信していた。高知大会では20人のベンチ入メンバーだったが、甲子園はベンチ入り人数が16人(当時)に減るため、スタンドの応援部隊に回っていた。
8回裏に横浜が4点を返し、それが奇跡への序曲となる。続く9回表、横浜の選手たちが守備に就くと、投手交代が告げられ、「ピッチャー、松坂君」の場内アナウンスと共に、凄まじい声援に送られ松坂が小走りでマウンドに向かう。
「球場の空気が一変しました」と関本は振り返る。スタンドの四方八方から地鳴りのような歓声が沸き上がり、まだ明徳がリードしているにも関わらず、関本ら応援の選手たちまでが、「俺たち、ここにいちゃいけないんじゃないか……」と追い込まれた気持ちになっていく。
松坂登板で勢いづいた横浜を、もはや明徳は止めることが出来なかった。9回裏、横浜の怒濤の攻撃の前に逆転サヨナラ負け。のちに「奇跡の大逆転」と語り継がれる試合だ。
サヨナラヒットの打球がセンター前に落ちた瞬間、明徳の選手たちはグラウンドに崩れ落ち、しばらく立ち上がれなかった。スタンドの関本も「心が折れました。“ああぁー”と声が漏れて、力がすーっと抜けていったんです」と、その時のショックを表現する。
高校を卒業した関本は、子供の頃から憧れていたプロレスラーになる。明徳の馬淵史郎監督の口添えで大日本プロレスに入門し、「強くなりたければ、練習しなさい」という高校時代の教えのままに努力を続け、デビューから20年を経た今ではメインエベンターとして活躍している。
プロレスは対戦相手との勝負と共に、観客とも常に戦っている。歓声を浴びてリングに上がる日々の中、「まだまだですね。僕はまだ会場の雰囲気を一瞬にして変えることは出来ていないですから。高校生の松坂に勝てていないんです」と自分を諫める。
関本にとって、あの夏、マウンドに上がった瞬間に、甲子園の3万4000人の大観衆が“ミラクル”を確信し、球場全体の空気を変えてしまった本物の“スーパースター”松坂の姿は、今も大きな目標となっている。