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2020.09.13 07:00  NEWSポストセブン

プロに進まなかった”松坂世代”3人が語る「あの夏の衝撃」

1998年、3球団から1位指名を受けて西武に入団した松坂大輔(時事通信フォト)

1998年、3球団から1位指名を受けて西武に入団した松坂大輔(時事通信フォト)

強力なビジネスツール「僕、松坂世代です」

 連日のドラマチックな試合展開で日本中の注目が集まる中、決勝戦、横浜の前に最後に立ちはだかったのは京都成章高校だった。

 1回表、京都成章の先頭打者、主将の澤井芳信は、松坂の不用意に投げたストレートを力強く叩き、サード左に痛烈なライナー性の打球を打つ。横浜のサード斉藤清憲がグラブに当てて弾き、ファーストに送球してアウト。もし、この打球があと30cm左に飛んでいたら、高校野球の歴史が変わっていた。

 立ち上がり、連日の激闘の疲れからエアポケット状態にあった松坂は、この打球で目が覚めたかのように一気にアクセルを踏み込む。澤井の“幻のヒット”の後は、京都成章打線に1本のヒットも許さないまま試合は進んでいく。

 澤井は5回頃から「まだノーヒットか」と意識していた。口には出さないが、他の選手たちも気づいていたはずだ。しかし、覚醒した怪物の前に、もはや為す術もなかった。3-0。松坂の59年ぶりとなる決勝戦ノーヒットノーランの快挙と共に、横浜高校は史上5校目となる甲子園春夏連覇を達成する。

「あの試合を屈辱だと思ったことはない」と澤井は言い切る。センバツで2-18と大差の初戦敗退を喫し、「京都の恥」とまで言われたチームが、リベンジを目標に再び甲子園に乗り込み、一戦一戦、力をつけて勝ち取った準優勝。だから試合後の円陣で、チームメイトに「胸を張って帰ろう」と言葉を掛けた。

 戦いを終えた時、「世界観が変わった」と言う。甲子園で勝ち進むのは小学校時代から名前を知られたエリート選手が揃う強豪校、名門校ばかり。その中で、地元の無名選手が集まった創部10年ほど(当時)の新鋭校が勝ち進み、松坂を筆頭とする「違う世界の人間」と思っていた有名選手の中に、「ひょっこり入り込んでしまった」と笑う。入り込んだことで、「俺たちも、そこにいていいんだ」と思えた。

 そして、各打者が松坂の前に三振の山を築く中で、澤井だけが、打てないまでも三振はしなかった。「上に進んで高いレベルの野球に揉まれれば」と、卒業後、澤井はプロを目指し大学、社会人と野球を続ける。

現在、スポーツマネージメント会社を経営する澤井芳信氏

現在、スポーツマネージメント会社を経営する澤井芳信氏

 夢は叶わず、26歳で現役を引退。しかし、新たな夢となったスポーツマネージメントのビジネスに転出し、今では自らの会社『スポーツバックス』を設立。日米で活躍した上原浩治(元巨人)や侍JAPANの4番打者・鈴木誠也(広島)、同じ松坂世代の平石洋介(ソフトバンク打撃兼野手総合コーチ)ら、多くのアスリートのマネージメントを行う敏腕社長だ。

“松坂世代”は、今の澤井にとっては強力なビジネスツールでもある。「野球をやっていなかった人でも、『僕、松坂世代です』と自己紹介することがあると思うんです」と澤井は言う。他にそんな学年はなかなかない。実際、仕事現場で人から「この人は甲子園の決勝戦で松坂投手と戦った……」と紹介されると、「あぁ、あの時の」と反応が返ってくる。

今シーズンはケガで絶望的な埼玉西武ライオンズの松坂大輔投手(時事通信フォト)

今シーズンはケガで絶望的な埼玉西武ライオンズの松坂大輔投手(時事通信フォト)

 あの夏から22年が過ぎた。

「現役時代は、プロで活躍している選手ははるか遠いところにいる感覚でしたが、今は引退して第2の人生を始めた人も多い。一方、ビジネスの世界では僕らの世代はいよいよ脂が乗ってくる時期。いつか一緒に仕事が出来たら楽しいだろうなぁ」

 澤井はかつてのライバルたちと、セカンドステージでの勝負の日を楽しみにしている。

●やざき・りょういち/1966年山梨県生まれ。出版社勤務を経てスポーツライターに。細かなリサーチと“現場主義”でこれまで数多くのスポーツノンフィクション作品を発表。著書に『元・巨人』(ザ・マサダ)、『松坂世代』(河出書房新社)、『遊撃手論』(PHP研究所)、『PL学園最強世代 あるキャッチャーの人生を追って』(講談社)、近著に『松坂世代、それから』(インプレス)がある。

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