堀内は、13連勝がストップしてからは3勝2敗。それでも1.39で最優秀防御率を獲得し、16勝2敗でシーズンを終えた。南海との日本シリーズでは第2戦に先発。初回にエラー絡みで2点を失う。2回、3回は三者凡退に抑えたが、4回表の先頭打者である野村克也にセンター前ヒットを打たれたところで降板。堀内は敗戦投手になった。巨人は4勝2敗で南海を破って日本一に輝くが、堀内の登板はその1試合だけだった。
桑田の高卒2年目、日本シリーズでは2試合先発もKO
PL学園高校時代、1年の夏から清原和博とのKKコンビで5度の甲子園出場を果たした桑田は高卒2年目の1987年、開幕から勝ちまくった。
「この年の巨人は開幕戦で、西本聖が中日に移籍してきた落合博満に全球シュートを投じて、完封勝利。江川卓も、赤鬼と呼ばれたボブ・ホーナーから3打席連続三振を奪うなど健在でした。しかし、1980年代を支えてきた両輪に以前ほどの安定感はなく、西本は8勝に終わり、江川はこの年限りで引退。2年目の桑田の活躍は世代交代を感じさせました」
桑田はオールスター前の7月8日の広島戦で10勝に到達。札幌円山球場で行なわれたこの試合で156球、3安打完封の快投。打撃では、広島のエースである北別府学からプロ初ホームランを放った上に、猛打賞と大車輪の活躍を見せた。
「桑田は7月までに12勝1敗と驚異的な成績を挙げていました。しかし、8月1日の阪神戦で連勝が9でストップして以降、打線の援護にも恵まれず、1か月半勝ち星が付かなくなった。8月上旬から風邪の症状が続き、薬を飲んでも完治しないため、9月下旬には検査入院し、呼吸器感染症と診断されています」
9月15日以降、3勝を積み重ねて15勝をマーク。2.17で最優秀防御率を獲得したが、最多勝争いでは中日の小松辰雄に抜かれてしまった。西武との日本シリーズでは1戦、5戦に先発するもノックアウトされている。堀内、桑田ともに前半があまりに素晴らしかっただけに、終盤戦の壁に直面し、尻すぼみに終わった感がある。