第一次大戦の敗戦国ドイツで見たもの
前出の『渡辺錠太郎伝』の著者で歴史研究者の岩井氏は、渡辺の戦争観には、それまでの欧州での見聞や経験が反映されていると指摘する。
「渡辺は、大正6(1917)年に日本を出てオランダとドイツに公使館付武官として駐在し、第一次世界大戦の末期から終戦直後の現地を視察しています。そこで、近代の戦争は軍人だけでなく一般国民にもいかに大きなダメージを与えるものかを痛感しました。渡辺の非戦思想の全ての出発点は、この時の視察だったと思われます」
講演でも渡辺は、その欧州視察の知見を披露している。
〈私は大正6年に日本を出発いたしまして、ロシア、スウェーデン、ノルウェーからイギリスを通ってフランス、ベルギーの戦をやっている戦場を一部分見物いたしまして、再びイギリスに帰り、次にオランダに渡って、オランダの公使館付勤務として、戦争が済むまでおりまして、戦争が終わった後に日本人として第一番にドイツに入りまして、ドイツに約1年とどまって、大正9年の夏、内地[日本本土]に帰りましたのでございます。
その戦争後におけるドイツの悲惨な状態については、その当時ご当地[東京]でも諸方でお話をいたしましたから、皆様の中にはお聴き下さった方もあろうと思いまするが、実によく筆舌の尽くすところではない[到底言葉では表現できない]のでございます。
例えば、この戦争のためにドイツは働き盛りの男が、戦死または行方不明のために200余万人亡くなっております。その他、この戦のために不具廃疾[身体障害または回復不能の病]になった者が数十万を算しております。
かくのごとく壮年の男子が亡くなったということは、社会における男女の数に非常な不平均を生じ、また廃兵のたくさんの者ができたのでございますけれども、恩給も扶助料も何もないのでございます。それで日常の生活にも困りまして、[中略]まことに祖国のために身命をなげうって勇戦奮闘した勇士が、かくのごとき目に遇っているのを直接見まして、実に今日なお、その当時を考えますると、目頭が熱くなるのでございます。
ある地方ではついに強制結婚ということまで行われました。すなわち、数において余っている女を、この廃兵に強制的に結婚をさせて、この世話をさせるということが実際に行われたのでございます〉