しかし、渡辺は同時に戦争の絶滅が不可能なことも分かっていた。軍人である以上、理想は理想として、なおも実際問題として戦争がなくならないという現実は無視できない。
〈過去の歴史を見ましても、人類の歴史あって以来、戦争はほとんど絶え間なく起こり、かつ行われておるのでございます。
アメリカ人のホーマーリー[HOMER LEA、1876〜1912]という人の書きました本に、「世界の歴史あって以来3400年間に戦争のなかった年、平和であった年は330年である。即ち1割に足りない」ということを書いております。また、19世紀の100年間にヨーロッパに戦争のあった年と平和の年との比例は、およそ3と1の比だと申しております。
現に、この20世紀に入りましてからでも、大きな戦だけ申しましても、トルコとイタリアの戦争、ヨーロッパ大戦[第一次世界大戦]、大戦後にもロシア、ポーランドの戦、ギリシャとトルコの戦があります。アメリカのごときも、まことに平和の本元のように唱える人もございますが、建国以後150年間に19回、約100年間、戦をやっております。わが東洋におきましても、最近50年間に清仏戦争[1884-1885]、日清戦争[1894-1895]、北清事変[1900]、日露戦争[1904-1905]、そのほか、支那におきましては、年々のごとく内乱戦争が行われている。
かくのごとく歴史は、戦争は決して絶滅するものではない、戦争というものはいかに人がなくしようと思ってもなくなるものではない、ということを教えているかのように思いまする〉
ここで渡辺は、得意の学殖を生かし、戦争が人類史始まって以来絶えたことがない、ということを縷々(るる)述べている。
「渡辺によれば、歴史が始まってから、平和な期間はわずか10分の1に過ぎず、19世紀のヨーロッパでも平和な期間はおよそ3分の1しかないといいます。こうした『事実』を観察すれば、渡辺の言うように『戦争の絶滅』が不可能であることがよくわかります」(岩井氏)
悲惨な結果になることはわかっているのに、なぜ人々は戦争を止められないのか──渡辺の話は、さらに戦争というものの核心に迫っていくのだが、それについては別稿に譲ることとする。
●参考資料/岩井秀一郎『渡辺錠太郎伝 二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想』(小学館)