「女優」から一転「おかみさん」に。松也は5才で歌舞伎デビュー
夫・松助との交際のきっかけは、坂本龍馬をテーマとした舞台『寺田屋お登勢』(1984年)での共演だ。その縁もあり、生まれてきた男の子には、龍馬から一字とって「龍一」と名付けた。現在の、二代目尾上松也である。いまでは「梨園のプリンス」と称されることもある松也について盛恵さんはこう話す。
「“プリンス”なんてとんでもない(笑い)。夫・松助の父は新派俳優の春本泰男。歌舞伎の家の生まれではありません。夫は歌舞伎役者になりたくて、二代目尾上松緑さんの部屋子となりました。うちはいわゆる“歌舞伎の名門”の家ではないんです。
ですから、息子も、歌舞伎役者にしなきゃいけないというわけではなかった。『この子が役者になりたいのであれば役者にしよう』というくらいで、踊りも習わせていなかったんです。ただ、芝居は好きなようで、よく夫の楽屋にも来ていましたし、舞台を見るときは集中していました。
それが、1990年5月、夫が六代目松助を襲名披露するときに突然、松竹の永山会長(故・永山武臣氏)がいらして、『息子さん、いくつになったんだい? 5才か。よし! 舞台に出しちゃおう!』と言うんです。松助の襲名披露記者会見の前日でした」
降ってわいた「二代目尾上松也」の襲名。しかし、松也は持って生まれた舞台度胸で、動じることなく『伽羅先代萩』の鶴千代という大役をものにした。盛恵さん夫婦は常日頃から、「役者は芝居の勘がなければ大成しない。本人がやりたくとも、筋が悪ければやめさせよう」と話していたというが、松也の勘所のよさに、わが子ながら舌を巻いたという。松也は、両親ゆずりの“芝居好き”の血と愛らしさで、瞬く間に子役として売れっ子となった。
◆写真提供/河合盛恵さん 取材・文/宇都宮直子
※女性セブン2020年10月22日号