総裁選支援をお願いしに行った時、安倍前首相は…
杉村:岸田総理ならば、どんなデジタル社会を目指しますか。
岸田:デジタルは手段であって目的ではありません。そのことをハッキリさせることがまず大切です。その上で、デジタルという手段を使って、国民の生活、特に地方での生活、地方の活性化を目指します。リモートワーク、リモート診療、リモート教育、自動宅配、自動運転、デジタルを活用することで、大都市にいなくても大都市と同じ生活や便利さを享受できるようになるのです。なので、デジタルを通じた地方の活性化を目指します。
その際、そもそもデジタルは格差を生じさせやすい。使いこなせる人とこなせない人でも差が出るし、業界においてもデジタルに適合、不適合がありますから。デジタル社会でますます格差と分断が広がる可能性があるので、まずは中小企業や所得の低い人などに配慮したデジタル化を進める必要があります。
杉村:デジタル社会が分断を招くこともあるんですね。しかしそれにしても、岸田さんは安倍さんを批判したことは一度もないんですか。どんなサラリーマンでも7年8か月も仕えたら、どこかで愚痴のひとつも出るはずです。
岸田:言いたくなるときもあるけど、不必要な愚痴は言わないことです。政治を動かすとか、自分の役割を果たすとか、大きな目標のためには言わなければならないことがある。でも不必要な不満をいちいち口にすると、結局は自分に跳ね返ってきます。これまでしょっちゅうそれで痛い目にあっているから、我慢することを覚えました。
杉村:それだけ我慢して安倍総理を支えた7年8か月ですよ。安倍さん辞任表明後の自民党総裁選で、「あれだけ我慢したんだから、安倍さん応援してくれよ」という気持ちにならなかったですか。
岸田:当然それはあった。あったけど……。ただ、我慢して安倍総理を支えたというのはちょっと違うんだよね。私と安倍総理は当選同期、年齢も近く、地元も広島と山口、昔から仲はよかった。安倍総理の7年8か月は、日本が外交でも経済でも存在感を一日一日取り戻した迫力ある7年8か月でした。その7年8か月を前半は外務大臣として、後半は政調会長として支えることができたのは、本当に充実していた。
杉村:なるほど。その安倍総理に、当時、辞任を表明した安倍総理に総裁選の支援をお願いに官邸に行かれましたよね。そこでは実際に総理からどんなお話があったのですか。
岸田:まああの時は、「誰を応援するとはいまは言えないんだ」という感じでした。
杉村:さすがにその時は、「なんだよ、こんなに長く一緒にやってきたのに、支えてきたのに」という気持ちになったはずです。それでも不必要な不満だから何も言わず我慢したなんて、すごすぎます。
岸田:その先をまた考えたら、「ここでケツをまくったらおしまいだよな」という気持ちになりました。
杉村:ずっと話を伺っていて、最後、感想を申し上げます。安倍さんが織田信長で、菅さんがその後叩き上げで後を継いだ豊臣秀吉、ちょっと恐縮ですが、明智光秀が石破(茂)さんだったとしたら、岸田さんは我慢に我慢を重ねてチャンスを待った徳川家康になるのか、それとも加賀100万石で終わった前田利家になるのか、大きな分かれ道だと思います。いかがでしょうか?
岸田:家康は好きじゃない。ぼくは本当は織田になりたかった。
杉村:それは超意外ですね。どう見ても狙うは家康でしょ!
岸田:でも徳川家康はあまり好きなタイプじゃないんだよな。イメージがよくないから、あまり家康になりたいとは思わないね。織田信長のように、やるべき理想に向かって、短くとも太く生きてみたい。でも、前田利家か徳川家康かといわれたら、実は両方ともよく似ているよね。2人とも、江戸と加賀と規模は違えども、何百年と安定して繁栄する体制の基礎を作った。未来の世代、未来の日本の基礎となるような仕事をしたいと思います。その意味では、家康もいいかな(笑い)
杉村:どう考えても岸田さんに信長の雰囲気は感じないですけど(笑い)。アメリカの大統領になるバイデンさんと同じで、分断から協調を目指す岸田さんの政治スタイルはいまの時代に求められるものだと思います。今後も天下取りにはチャレンジされますか。
岸田:もちろんです。一度総裁選挙に挑戦した以上は、引き続きぜひ総裁選挙に挑戦し続けたいと思います。
撮影/浅野剛 構成/池田道大