もう一人の証言者は、野村ヤクルト後期に新戦力として頭角を現し、のちにチームリーダーとなった宮本慎也氏だ。1994年のドラフト2位で入団し、2年目からショートのレギュラーに定着、ヤクルト一筋17年のプロ野球人生で、2133安打を放って名球会入りも果たした。オリンピックの日本代表チームのキャプテンも務めた。
週刊ポストでは、「脇役の一流になれ」と野村氏からハッパをかけられた思い出を明かしているが、宮本氏もまた、「野村克也講演会」が野球人生に大きな影響を与えたと語った。
「ミーティングの最初のほうは野球の話じゃなくて、どうやって生きていくかといった人生訓が多かったですね。それが野球につながっていくという話です。人生訓が野球の真理に触れていたり、相手はどう考えているか、自分はどう考えないといけないか、といったことを話してくれました。自分に当てはめた時に、何をすればいいか考えるヒントを与えてくれるミーティングでしたね。
でも、僕は野村監督の教え子のなかでは、あまり優等生ではなかったと思います。指導を受けた4年間に貢献できたかは正直わかりません。中心選手になれたのはそのあとですからね。むしろ、監督と一緒にやらせてもらって基礎をしっかり作れたと思っています。
僕はずっと怒られてばかりでした。でも監督は“三流は無視、二流は称賛、一流は非難”というポリシーだったそうですから、それが本当なら僕は間違いなく一流の仲間入りをしていたことになるんですけどね(笑い)」
ノムさん節が生で聞けなくなって間もなく1年になるが、「ノムさんの言葉」は多くの教え子によって長く語り継がれることになるだろう。