もっとも、レコードを買ったところで、聴くための機器や場所がない。奉公人と雇われ人のいちばんの違いは、プライベートなスペースがないことだ。
店の裏にある、食堂と茶の間と帳場を兼ねた10畳ほどの和室のすみで、そこに布団を敷いて、店の人に「おやすみなさい」と正座で挨拶をして寝た。
こうして高校1年が終わろうとしていたときに、問題が起きたの。
私は“年季”は高校を卒業するまでと思っていたけど、店側は「卒業してからもここの店員になるって話だったから、入学金を払ったんだ」と言う。「少なくても3年奉公した後、1年間のお礼奉公はしてもらわないと」と怒る。
お礼奉公とは、奉公をさせていただいたお礼に、安い賃金で働くことだ。私は親を出さず、ひとりで交渉して、高校1年で辞めることを納得してもらった。
千代は5才から家事労働をしていたけれど、私は7才からお駄賃欲しさに隣の家のおじさんのおつかいをしていた。あと、乳児を背中に背負って子守り。春先にはたばこ栽培のための小箱づくり。小学4年からは養鶏場での卵集め。
働いていた子供は私だけじゃない。昭和30年代当時はそう珍しくなかったのよね。少なくとも、家業の手伝いはみんなしていたもの。鮮魚店の同級生はお祭りになると桶を下げて自転車で配達に回っていたし、農家の子は田植え・稲刈りのときは大人に交じって田んぼに入り、女子は台所でおにぎりを握っていた。……まあ、40~50年も昔のことだけどね。コロナ禍で、ひとりの時間が増えたせいか、やけにリアルに思い出すんだわ。
もちろん、「あの時代がよかった」なんて思わないよ。けど、長い道を幼い「おちょやん」が重い水桶を両手で持って運ぶシーンは、何回見ても泣ける。かわいそうだからじゃない。家族のために役に立ちたいという少女の、健気さと強い意志が画面いっぱいから伝わるからよ。
どんな時代になっても、体を使って働くことさえ厭わなければ、どうにかなるんだよ。それにはまず、動ける体でいること。健康第一!
※女性セブン2021年1月21日号