没後16年だが、死してもなおその偉業は人々の脳裏に刻まれ来年には自伝的映画『Michael』が公開予定である。(1996年、パリで行われた記者会見・時事通信フォト)
マイケル・ジャクソンが亡くなって16年。今でもキング・オブ・ポップの伝説は世界で語り継がれている。来年にはドキュメンタリー映画『Michael』が日本でも公開予定で、再びマイケルの話題が盛り上がってきている。今となっては、その生の声こそ聞こえないがゆえ、彼と対峙してきた人間の肉声は貴重だ。
1996年12月に東京ドームで行われたマイケルのワールドツアー「HIStory World Tour」。結果的には、最後の東京公演となったが、ツアー中にマイケルと出会い、2人だけの60分間を過ごした日本人がいる。デザイナーの佐々木和則さんだ。30年近く封印していたMJとの秘話を初告白してくれた。【前後編の前編】
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──マイケルとの出会いは?
「某大手ゲームメーカーで働いていたのですが、マイケルが東京ドームツアーの合間に、弊社に買い物に来たのがきっかけでした」
──彼はゲーム好きなんですか?
「無類のゲーム好きだと聞いていました。特にアクションとか車のレースものなどが好きだと言っていましたね。それで、うちの部長とマイケルが話をしている中で、マイケルの新しいゲームを作ろうという案が出て、それならということでプロジェクトが進んだんです」
──どんなゲームですか?
「マイケルがダンスしている姿を360度見られるソフトです。実は、安室奈美恵さんでも一度、似たようなソフトを作っていたので、同じく3Dで作ろうとなり、早速プロジェクトチームが立ち上がり、僕も参加することに」
──佐々木さんはデザイナーとして参加したんですか?
「僕はマイケルの3Dモデルを作る作業、そして英語が話せるので、部長からメンバーに任命されました」
マイケルと言えば、世界的アーティストとして名だたる地位を確立していたスーパースターだが、プライベートでも話題が耳目を集めており、当時、子どもへの性的虐待疑惑や整形疑惑など、たびたび世間を騒がせていた。そうしたなか、佐々木さんはマイケルの撮影に臨むことに。
「当時はマイケルに対して、すでにそういったイメージがあったじゃないですか、だから正直、スーパースターと会うという緊張感はありませんでしたね。
対面する当日は、本社でスタンバイしていたんですね。僕はマイケルの要望もあって、小学校の体育館の半分くらいの広さがある、薄暗い地下室で待機していたんです。
当時、彼は整形したあとか何かで、黒いマスクをしていたんですよ。それもあってか、部屋の薄暗さを特に要求していました。ギャラその他の交渉の時にも、4メートル位離れて座って薄暗くするぐらいでしたから」
薄暗い空間で、マイケルを待つ佐々木さん。そのシチュエーションもあってか、少しずつ緊張感も出てきたという。