小笠原:はい、痛むこともありますが、きちんと取れるんです。緩和ケアの仕事は痛みや苦痛を和らげ、心のケアをすることなので、末期がんの患者でも、モルヒネを上手に使うと痛みはなくなります。ただしモルヒネを使う医師も玉石混淆で、医師を選ぶ必要があります。私が会長を務める日本在宅ホスピス協会の医師は安心だと思っています。
患者が苦しむのは、ドクターのスキルがないか、病院という環境だからこそ心穏やかにならないのかもしれません。かかりつけ医を、ぼくらが支援しながら教えるシステムが広がれば、どこにいても誰でも穏やかな死を迎えられるはずです。
坂東:私の祖母は肝臓がんでしたが、ドクターに往診してもらって、自宅で亡くなりました。当時、私は6才でしたが、祖母の顔がだんだん黄色くなっていった記憶があります。いまはほとんどのかたが病院で亡くなるので、自宅で亡くなる近親を看取り、死ぬとはこういうことなんだという経験をする機会がなくなりました。いまは病院に行って、ああ亡くなったのだと知るだけだから、テレビゲームをリセットするように、故人がすぐに生き返りそうな気がします。
小笠原:家で死ぬと、“人が亡くなると冷たくなって、二度と戻らない。だからいのちは大切なんだ”とわかります。子供にとっていのちの大切さを学ぶ貴重な経験となります。人間は必ず死にます。どうせ死ぬなら、残された人に、どういうふうに死ぬのかを見せることが大切だと思います。残された人のお役に立てれば、死ねる喜びを感じられるのではないでしょうか。実際に清らかに亡くなると、残された人はとても穏やかな気持ちになれるんですよ。
坂東:死について考えるために、私は日本の仏教にもっと頑張ってもらいたいと思っています。
小笠原:ぼくは僧侶でもありますが、その意見には大賛成です。
坂東:自分の力ですべてが解決するのではなく、長い無限の時間の継続の中で自分は生かされているという考え方を自覚するために、宗教はとても大事です。特に山川草木すべてに命があり、その一部である自分も与えられた命を生き切るという仏教の教えは、日本人にはなじみが深い。普段からそう考えられるようになると、死に対して、そんなにたじろがずに受け入れられる気がします。
小笠原:森羅万象のごとく、人も自然に還っていくわけです。人間のいのちは非常に面白いもので、そのいのちを考えながら生きているときは幸せですよ。いのちがあるからこそ、自分は救われているし、生かされている。だからこそ、この喜びを誰かに与えたい、教えたい、伝えたいと思うはずです。まあ、若い頃はなかなかそういう気になれないけど……。
坂東:おっしゃる通りです。『70歳のたしなみ』では、高齢期のたしなみについて、〈「生老病死という命の大原則を変えることはできない。老いや死と同じく病を受け入れ、病とともに生きる覚悟も必要である〉と書きました。年齢を重ねたら病や死を受け入れて、自分が生かされていることに感謝したいものです。