借金の恩を「倍返し」
重光は苦しい時に助けてくれた恩人との縁を金の貸し借りだけで片付けなかった。前出の小島は、重光が当時流行りのアメリカ車を駆ってきた姿を憶えている。
「父が亡くなった時、私は4歳。三人の子供を抱え、苦労していた母の背中を見て育ったので、私は中学を出て働くつもりでした。中学卒業間近にちょうど学校の求人にロッテの人材募集が出ていたため、母に重光さんのところに頼みに行ってもらったことがありました」
重光は会いに来た小島の母親を「どんなことがあっても高校に行かせるべきだ」と強く諭した。
「私が改めて挨拶に行くと、重光さんは『来月から学費を取りに来い』と。それから2か月に一度、ロッテ本社に1万円を受け取りに行きました。月5000円は学費には少し多い額です。それを3年間頂きました。その後、私はロッテに入社し、一従業員としてお世話になりました。重光さんは花光さん一家には社宅を用意して住まわせ、息子をロッテで採用していました」(同前)
それだけではない。彼は蔚山で世話になった種羊場の場長の親族も、東京での下宿先の大家の息子もロッテに入社させている。詳しい事情は一切語らないが、恩には必ず報いる。その誠実な姿勢は、のちに彼のカリスマ性を際立たせていく。
取材・文/ジャーナリスト・西崎伸彦
※週刊ポスト2021年2月5日号